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それでも生きる
Vol.165/2011/10

震災や原発事故から7ヶ月が過ぎた。ここパースのメディアにも「Tsunami」や「Miyagi」、「Nuclear」や「Fukushima」といった単語が引き続き頻繁に登場する。確かに、遠く離れた日本での出来事はオーストラリアにいる人たちの心に大きな“衝撃”を与えたが、直接被害に遭っている人たちにとっては、“衝撃”程度の問題ではない。今も被害と共に生きる人たちを追った新シリーズ『それでも生きる』を連載でお届けする。



第1回 「ふるさとに生きる人々」 柴田 大輔


大子町で開かれた、震災後3度目の競り

大子町で開かれた、震災後3度目の競り。平年並みへと値が回復した(2011年9月)。


 ふるさとに根付き、暮らす人々がいる。震災、その後の原発事故に揺さぶられながらも、人々は巡りゆく季節とともに、日々の暮らしを送り続ける。

 「やすみなぁ」
 斎藤裕子さんの柔らかい声を合図に、仕事の手を止め、畦に腰を下ろす。v  9月中旬、茨城県大子町に暮らすお茶農家、斎藤俊雄さん(59)・裕子さん(58)夫婦は、同居する俊雄さんの両親、好一さん、とね子さんと稲刈りに追われていた。近所の「おだ掛け職人」菊池さんも奥さんと手伝いに来ている。この地域では、刈り取った稲を田に組んだ棚に掛け、天日干しする「おだ掛け」が一般的だ。「台風が来ても崩れないように、きちんと打たなきゃだめ」と、棚の柱となる杭を、力強く打ち付ける。田植え・稲刈りが手作業でされていた頃は、近隣で互いを手伝いあう「結(ゆい)」があった。今は機械化され、過去のものとなってしまったが、こうした自然な形で助け合いの姿が残る。
 まだ刈り終えていない黄色い稲を見ながら、畦に座ってお茶を飲む。これが秋の始まろうとするこの土地の、季節の風景なのだろう。

 茨城県の最北西に位置する大子町は、奥久慈茶の産地として知られる。そのお茶は、およそ400年前に京都より持ち帰られた宇治の茶実が始まりと伝えられる。静かな盆地に茶畑が広がっている。
 原発事故は、この長閑な山間地にも影を落とした。5月に行われた県による検査の結果、大子町と境市の生茶葉から基準値を超える放射性セシウムが検出され、出荷自粛措置が取られた。