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それでも生きる
Vol.165/2011/10

第1回 「ふるさとに生きる人々」 柴田 大輔


稲刈りを終えた農家から、牛の餌となる稲藁を受け取りに行く

稲刈りを終えた農家から、牛の餌となる稲藁を受け取りに行く斎藤俊雄さん(2011年9月)。


 斎藤さんは、米作り、お茶栽培とともに、子牛の育成を手掛けている。
地震が起きた時、裕子さんと、俊雄さんの両親の3人が畑にいた。激しい揺れに立っていられず座り込み、目の前を流れる川の土手が崩れるのを目の当たりにする。その後の原発事故は、思いもよらぬことだった。お茶は、5月から7月の末にかけて収穫期を迎える。刈入れに慌ただしく過ぎるその時期に、放射能を除去するための、葉の刈り落としに追われた。今年は、一度も出荷できずに収穫期を終えた。
 7月には、福島で牛の餌となる稲藁から放射性セシウムが検出される。直後に開かれた大子町内の競りでは、その影響から、競り値が平年を大きく下回った(大子町内の稲藁は不検出)。

 9月、町内で開かれる競りへ、斎藤さん夫婦に同行した。不安がある中、出された5頭の子牛は、前回よりも高値で取引された。その結果に安堵の笑みが漏れる。競りを終えた俊雄さんは、昼食をとるとすぐ、牛の飼料となる稲藁を集めに、稲刈りを終えた農家へ軽トラックを走らせる。稲刈りもそうだが、藁集めも天候勝負。せっかく乾いた藁を雨にさらすわけにはいかない。晴れが続く今のうちに、急いで集めて回る。麦色の藁が田んぼの畦に山のように積まれている。急いで荷台に積み込み、自宅へ戻る。積荷を下ろしてはまた、残りを積みに田んぼへ向かう。そして一日の終わりに、餌を待つ牛のもとへ向かう。
 その日の夜、家族4人の団らんに混ぜていただいた。夕食は、競り会場で買った常陸牛の焼き肉だ。俊雄さんは、口数は少ないが、笑顔でビールに焼酎と杯を重ねる。丹精込めた子牛が無事に出荷され本当に良かったと思った。  季節ごとの仕事とそれを中心とした生活、その中に日々の家族の営みがある。この当たり前の日常が、原発事故の陰でより強い光を放っている様に感じた。

 事故はいまだ終息を見ない。町役場の職員は「出来るだけ早い時期に来季に向けて検査を行う」と話す。検査結果と同時に、一度離れた消費者が戻るのかという不安もある。秋が深まろうとしている。斎藤さんたちは来年の収穫を祈りながら、季節の仕事であるお茶の葉落としに取り掛かる。



柴田 大輔
1980年茨城県生まれ。フォトジャーナリスト。中南米を旅した後、2006年よりコロンビアを中心に、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。3.11以降は、故郷の茨城を記録している。