これまで書いてきたように、ビルマは、ほぼ半世紀もの間、軍事政権の圧政に苦しんできた。昨年9月にあった軍政に対しての抗議デモも、流血の弾圧で抑え込まれ、結局、何も変わらなかった。今のところ、軍主導の政治体制は当面変わる様子はない。
今回、サイクロンの被害に遭ったビルマの人は、それこそビルマ各地のどこにでもいる普通の人びとである。休みの日には教会に行って祈りを捧げ、あるいは仏塔に参り純粋に拝む人たちである。軍事政権下で苦しみながらも、平穏な生活を望んでいる人たちばかりである。ただでさえ大変な生活なのに。サイクロンという自然災害が加わった。いったい、ビルマの人びとはどこまで苦しめばいいのか。
彼ら彼女らには、神も仏もいないのか。
思わず、そう思ってしまう。同じ時代に地球上に生きる同じ人間なのに・・・。人の世の、自然世界の不条理を痛感せざるを得ない。いったい、この現実をどう考えればいいのか、途方に暮れてしまう。
救いを求めるように、最近読んだ本、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文藝春秋、2006年)を取り出す。そこにはこんな記述があったからだ。
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デルタ地帯最大の都市パセイン(バセイン)からミャウンミャに向かう定期船はいつも満杯。経済的に苦しい政府によって移動手段の確保には限界がある。
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