パースエクスプレスVol.115 2007年8月号

「分かち合いのルール」

 分かち合うことの出来ない自然の産物は限りある資源であるということは、誰でも想像することができる。それ故、それぞれが、限りある資源の収奪合戦に参加することになる。その競争に明確なルールがある場合はいい。だが、ない場合は(それがほとんどであるが)、力のある者が跋扈することとなる。平等と公正を求めて、その強者の力を減じさせるために抵抗に投じられる社会的エネルギーは、膨大なものとなってくる。それ故、必然的に社会維持のコストは増大する。
 これまで、共同体の共有物を守ろうとしていた時代に存在していた目に見えないルールは、それを破ることによって共同体を壊滅させるため、人びとの行動のブレーキとなり、社会維持のコストは軽減してきた。もっともこれは、商品経済があまり発達していない村の場合にだけ有効であって、多くの人が都市に住むようになった今、昔の夢物語なのだろう。

 

 だからといって、共同体を無理やり復活させるために、町内会や行政主導で人寄せのためにお祭りを催すことは勘違いである。イベントによって「場」を共有しているという感覚を喚起することは可能かもしれない。でも、本来の共同体の柱となっていた意識そのものを復活させることは簡単ではないのだ。

  この暗黙の分かち合うというルールは、それこそ思想でも主義でも、或いは運動でもない。教科書から学ぶことのできるものではない。それは、例えば、水汲み仕事というように、生活に根ざした仕事を子どもの頃から繰り返し行うことによって、無意識的に身体に染み付くものだからである。

   


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