「『伝える』から『分かち合う』へ」

 「いま、ここ(米国)で、自分は何をするのか」。それを考えるとっかかりとして、まずどんな道筋で考え始めたらいいのか。その時、自分の考える基準が無かったのである。有る程度意識的だと思っていたが、いざ、自分を見つめ直すと、これまで自分のモノだと思っていた考えがほとんど全て借り物だったことに気づいた。まずそのことに驚いた。20数年培ってきた(と思っていた)自分の考えが揺らぎ始めた。
ほぼ毎日数時間、暗室に籠もって、自分の写真イメージと対話しながら考えていた。その時(1990年)たどり着いたのは、自分の意識が形づくられた(と思える)子ども時代のことであった。

「そうか、そういうことがあったのか」
結構、驚きだった。その時、自分がフォトジャーナリストとしての一つの基準が定まった(ようだ)。
が、しかし、今振り返ってみると、その基準も揺らぎ始めている。時代や環境が変わるにつれ、自分も変わるのだ、と気づき始めたからだ。
 今の自分は、どの時代(時期)を基準として考え行動しているのだろうか、と思う。人が生きていくということは、日々、その基準が動いているということだ。基準が動くと言うことは、絶えず不安定な状態に陥ることであろう。どうも落ち着かない話だ。

 


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