グアテマラを経てエルサルバドルに入ったのは92年のこと。今から15年も前の話である。エルサルバドルにはその後、内戦が終了して初めての総選挙取材で94年に再訪。それ以降、96年、99年、2004年と訪れ、写真を撮り続けた。もっとも、2年前の訪問時の撮影は、そのほぼ全てがデジタルカメラでの撮影だった。時代も機材も、自分も何もかも変わったことを実感したのを思い出す。
スキャン作業のため、押し入れからスリーブ保存しているフィルムボックスを引っ張り出す。ボックスを開けるとプンと酢酸を使ったフィクサー(定着液)の臭いが漂った。鼻腔の奥を軽く刺激する臭いは、脳のここそこを刺激する。フィルムを眺めていると、この15年の懐かしい日々がよみがえってきた。
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単調で退屈なスキャン作業は時間を食う−1枚230MBもの容量があるので、イメージによっては20分かかることもある。スキャンの間に内田樹/平川克美『東京ファイティングキッズ』(2003年)を開く。偶然、以下のような記述にでくわした(幼なじみである、フランス思想の大学教授内田氏と「ひとひねり半のビジネスマン」平川氏の現在進行形の回想録である)。
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1977年がどういう時代だったかということは、どの時点で回想するかによって、その都度、答えが変わるような問いだと思います。
だから、2003年の今から回想してみるということは、平川君が書いているとおり、2003年と1977年のそれぞれの歴史的な意味を「いま」確定することだと思います。
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