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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.211/2015/08


記憶と記録の交差点(7)—<Room 411>に暮らして(2)



On The Road by Yuzo Uda
カメラをぶら下げて被写体に近づいていった。最初は顔を伏せていたが、やがて顔を上げてくれた。ビルマ(ミャンマー)の奥深い山に暮らすシャン人たち。


──フォトジャーナリストになりたという人に何かアドバイスはありますか?
 フォトジャーナリストとは文字通り、フォトグラファーとジャーナリストが一体となった言葉です。でもこの言葉は、人によっていかようにも解釈できます。
 文章を書き、写真も撮る意味でのフォトジャーナリスト。また、写真という表現を通して、文字で表現するのと同じように出来事を伝える意味でのフォトジャーナリスト。後者の場合はフォトグラファーの意味合いが強いでしょうか。はっきり言えるのは、文章を書くのが苦手だから、写真をメインで勝負するというのは、ジャーナリスティックなフォトグラファーであって、私の考えではフォトジャーナリストとは呼び難いです。逆に、文章表現はうまいけれど、写真のできがイマイチという場合もあります。その場合によく見られるのは、現場に立っただけの証拠写真に終わっていることがよくあります。
 フォトジャーナリストとしての一番の理想は、目の前の出来事の歴史的背景や文化的・社会的な事情に通じ、読者に対して目に見える以上の何かを伝える文章や写真を生み出すことだと思います。それはとても難しい作業であるけれど…。


On The Road by Yuzo Uda


 最悪なのは、現場に入って未知の経験を楽しむのでもなく、写真を撮ったり文章を書くのが好きでもなく、単に「未知の経験を楽しんでいる自分が好き、写真を撮ったり文章を書いたりしている自分が好き」という場合でしょうか。こういう人は、取材対象や被写体よりも自分が表に出やすいので(ワレがワレがという態度を取りやすいので)、どちらかといえば黒子役であるジャーナリストには不向きであると思います。そんな例は、自分の取材がいかに大変かを強調するあまり、取材対象に重きが置かれていないことがあります。
 また、私自身がインタビューされて困るのは、「一番苦労したことは何でしょうか」と尋ねられる時です。で、そんな時は「仕事は何だって大変なもんなんですよ」と答えることにしています。私自身がフリーランスの身なので、直接的な(嫌な)上司はおらず、満員の通勤電車にも苦労することはほとんどありません。でも、ちょっと考えるとわかることなんですが、例えば勤め人が自分の仕事を説明をする際、通勤の大変さを話してもそれほど意味がありません。やっぱり仕事は、結果で残さなければならないでしょう。でも、そうは言っても、どうしても取材話に苦労話や失敗などの逸話は事欠きません。その一つにこんなことがありました。
(続く)