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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.190/2013/11

「抗いの彷徨(1)」



バングラデシュのクトゥパロン公式難民キャンプで投網の手入れをするロヒンジャの女性

夕闇迫るボストンの街並み。空を見上げて美しいと思える日々を過ごした1992年。

 映画通には知られているベン・アフレックだが、その名が一般の人にも知られるようになったのは、やはり今年(2013年)の米国アカデミー賞で『アルゴ』が作品賞に輝いたからであろう。ベンはこの『アルゴ』で、脚本・監督・主演を務めている。  『アルゴ』は、イランで起こった1979年の革命を舞台に、首都テヘランでの米国大使館の人質事件を扱った実録風の映画である。前独裁者のパーレビ国王と繋がりのある米国は革命直後、テヘラン市内の米国大使館に大使館付の米国人を人質に取られた。実は、人質がいたのは米国大使館内だけでなかった。テヘラン市内の別の場所にも大使館員たちが数人隠れていた。革命政府の監視によって大使館からの人質救出は不可能である。だが、別の場所に隠れた人質を救出する作戦は可能だ。ベン・アフレックが中心となって救出作を実行する。  映画としてみるだけなら娯楽としては上出来である。だが、米国とイランとの関係、そもそもイランとはどういう国で、中東におけるイランという位置付けなど、映画を見る限りほとんど分からない。だが、救出作戦を見るだけならハラハラドキドキさせられる。宗教的独裁国家イランへの入国と間一髪の出国劇である。
 この映画を見終わった後、面白かったなあ、という以上の感情が湧いてきた。イランにしろ、独裁国家であったビルマ(ミャンマー)にしろ、ああいう大変な国に出入りしていたっていうのは、実はかなり神経をすり減らしていていたんだな、と気づいたからだ。 
 私が軍事独裁国家ビルマ(ミャンマー)に初めて足を踏み入れたのは、1993年の5月。それから20年間、ビルマへの出入国回数は30回を超えた。我ながらよく続けられたと思う。
 知り合いなどは、私がいとも簡単にビルマ(ミャンマー)出入りしていると思っていた。だが、実は毎回毎回、私は自分の神経をすり減らしていたのだ。いわゆる一発屋のジャーナリストなら、次の入国機会などお構いなしに、国外退去や逮捕覚悟で取材ができる。だが、私はできる限り、独裁国家に生きる人びとを見続けたいという気持ちがあった。そのため細心の注意を必要としていた。出入国時のブラックリストに名前が載るのはまずい。それこそ、毎回、いわゆる潜入取材となる。実際、日本人だけに限らず、出入国が禁止になったジャーナリストや人道支援活動家も身近にいた。出入国の回数が増えれば増えるほど、それだけチェックされる危険度は増していった。
 昨年2011年3月、ビルマ(ミャンマー)軍政は「民政移管」し、軍事独裁国家は終わりを告げた。もちろん、軍政から民政への政治体制の変化を簡単に信じられない人びとは、国内外に大勢いた。しかし今、「ビルマ軍政の民政化」を疑う人はほとんどいなくなった。
 私自身も今年1月末、現地ヤンゴンで写真集を出版することで、この20年間の撮影・取材成果を出すことができた。嗚呼、ひと仕事終えたな、って思うことで、プツンと緊張の糸が切れてしまった。そこで、何やら自分がおかしいことに気づいてしまった。

(続く)