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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.175/2012/8

「続『ビルマ(ミャンマー)』から『沖縄』へ」


「平和の灯」からは真っ青な海を臨むと

平和公園は摩文仁ヶ丘に位置し、「平和の灯」からは真っ青な海を臨む。


 沖縄本島からフェリーで半時間、伊江島を訪れてみた。今回の沖縄訪問のもう一つの目的である、伊江島にある「ヌチドゥタカラの家(=「命こそ宝の家」)」を訪れることであったからだ(ヌチドゥとは「命(いのち)」を意味する)。それは、アジア・太平洋戦争後から反戦・反基地の旗頭として、後に平和の語り部として活動を続けた阿波根昌鴻(あわごん・しょうこう)さんが、手作りで完成させた反戦平和資料館である。
 戦後の沖縄で、人びとはどのような生活を強いられていたのか。米国による占領がどのようなものであったのか。沖縄県が出している資料を丹念に調べると、撮影場所や撮影者の名前は明記されていないが、阿波根さんが自ら撮影した写真を数多く見ることができる。阿波根さんは、経済的に苦しい生活の中であっても、自前でカメラやフィルムを買い、何が起こったのかを写真で具体的に記録し、権力に対して粘り強く、決してあきらめることなく訴えかけ続けた。阿波根さんは、米軍と日本政府相手に、時には孤軍奮闘で、非暴力で抵抗を続けた人であった。
 阿波根さんの抵抗運動は、派手さはないが、世代や地域を越えて受け継がれている。できれば存命中に阿波根さんにひと目会いたかったのだが、それは叶わなかった(実は今、インターネットに不自由する取材先のビルマで原稿を書いているので、阿波根さんの正確なプロフィールを記述することができない。『命こそ宝(岩波新書)』に阿波根さんの思想と活動が詳しい)。
 そこで、阿波垠さんとともに闘ってきた謝花悦子(じゃばな・えつこ)さんから直接、話を聞くことになった。
沖縄には、かつても今も、「権力に立ち向かう」と言葉では簡単に言い表せても、生活者としては単純に割り切れない厳しい現実が存在している。そう、沖縄の人びとの誰も彼もが、米軍基地の存在に反対している訳ではない。