Vol.164/2011/9
|
実は、スーチー氏もこの間の政府側の急激な変化をどう受けとめていいのか分からないようだ。彼女自身、「何が起ころうとしているのか私はまだ分かりません。しかるべき時がくれば説明します。人びとに誤った期待を抱かせたくない」と発言しているからだ。 スーチー氏は、自分と大統領の会談を一方的に政府側の変化の現れてとして利用されたくなかったようなのだ。今回のテインセイン大統領との会談は、あくまでも大統領の執務室に飾られたビルマ独立の英雄アウンサウン将軍(スーチー氏のお父さん)を表敬訪問する形をとっている。だから両者の会談後の記念撮影では、アウンサウン将軍の肖像写真がやけに強調されているのだ(下写真)。
この写真を見て、そのスーチー氏の意図を読み取れる人がどれくらいいるだろうか。写真を見るだけなら、「民政化」したビルマ政府と民主化側の代表スーチー氏の対話が始まったように見えるからだ。 NLD側が民主化の指標として求めている(1)2,000人近い政治囚の釈放(2)軍部の力を温存する2008年新憲法の見直し(3)60年を超える内戦を続ける「少数派民族」との和解(4)1990年にNLDが大勝利した選挙結果の落としどころ(90年の総選挙でNLDは圧勝し、85%の議席を確保したが、当時の軍政はその結果を反故にし、政権委譲を拒否して現在の新体制を築いた)等々の問題は何一つ解決されていないのだ。 つまりは、軍政時代を流れていた市民社会を縛るその根幹は、実は何も変わっていないのだ。新しく就任したテインセイン大統領も、その背後で院政を敷くタンシュエ氏の指示を受けて動いているのだと指摘する人も少なからずいる。 さらにまた、私のような外からの取材者が、ことさらビルマが「変わった」と強調することで、対外的に変化のアピールをしたい新しい政府の、実は思う壺に陥っているのかも知れない。 私自身この19年間、継続的に軍事独裁政権国家ビルマを取材してきた。ただ、「民政」移管後の7月と8月の2ヶ月間の変化は、その前19年間全体の変化を凌ぐものがあるのだ。おそらく、ビルマはこれからも紆余曲折の道を歩むだろう。もしかしたら軍政が復活する恐れもある。或いはまた、徐々に軍部が軟化する可能性もある。今回の変化を目の当たりにして、長年ビルマに関わっているだけに、その鵺のような変化の影を掴みきれないのが悔しいのである。 いずれにしろ、今回変化は、後戻りのできない一線を越えた変化であることは間違いない。
当連載は筆者の長期取材のため、一時休載させて頂きます。過去の連載は本ウェブサイトをご覧ください。
パースエクスプレス編集部