3人の姿が哀しかった。直視できなかった。なぜ、彼らはこんな生活をしているのか。わからなかった。小さなスプーンに白いご飯と青い野菜のスープをのせて、小さな口に運ぶ。
その姿が哀しい。
私の話しかける意味不明の関西弁を聞いてにこにことする。その笑顔が哀しい。
辺り一面、猛烈な臭気と埃が充満している。そんな空気から口と鼻を守っているタオルを巻いた彼らの姿が哀しい。
さらにそのタオルの隙間からのぞくまなざしの優しさも哀しい。
彼らの生活を映像にとらえ、それを生業とする自分の姿はもっと哀しい。
いつもなら、気軽に声をかけ続けることができたのだが、そのときだけは、それ以上口を開くことができなかった。本当は哀しむべきではないのだ。それは分かっている。仕事とは割り切れないのだ。「撮らなければ」、という気持ちと、「私が撮影しても、何にもならないのでは」という無力感だけが頭の中を駆けめぐる。
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私がカンボジアに足を踏み入れた理由の一つに、ポル・ポト時代(1975〜79)の大虐殺が何だったのかを知りたかったことがある。もちろん短期間の滞在では、不可能なことは承知である。最低、何だったのかを知るヒントを得たかったのである。100万人(〜300万人)以上の人々がたった4年の間に殺されたのだ。実際にその地を自分の目で見て、その地を自分で感じてみたかったのである。
カンボジアではほんの20数年前に、想像を絶することが起こっていた。どうして起こり得たのか。そのことを、現地で考え、感じてみたかったのである。自分自身、どうしてその事を知りたいと思い至ったのか、その理由もはっきりさせたかった。
とりあえず、来てみた。
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