Vol..140/2009/9
「音が見えない」

 ところで、人間に備わった感覚の中でも、耳というか、聴覚はとても面白い役割を担っている。たとえば論語には「見ざる、言わざる、聞かざる」という言葉があるが、これは「悪いことを見たり言ったり聞いたりせずに、素直なまま育ちなさい」という意味だそうだ。見たくなければ目を閉じればいい。話したくなければ口を閉じればいい。だが、耳だけはそれ自体で閉じることができない(手を使えば可能だが)。耳は、常に外部に開かれている。それはどうしてなのだろうか。その昔、人がまだ野生に暮らしていた時代、外敵の接近をいち早く察知するためだったのだろうか。  ある時、その筋の専門家に、この耳が開かれている理由を尋ねてみたことがある。「耳は、外部からの音を耳という器官で遮断することはない。基本的に、ほぼ全ての音が耳の中に入ってくる。だが、ある音を聞きたい聞きたくないという判断は、実は脳が行っている」そうだ。そうか、知らず知らずのうちに、脳がその音の存在を判断しているのだ。

   そうすると、例えば今回のビートルズ音楽の“リマスター”という行為は、本来なら何が純粋な音で何が雑音なのかの判断を、つまり聞く側の個々の人の脳が判断すべきところを、音楽業界の人が既に終えてしまっているということなのだろうか。  少々極端な話になってしまうかもしれないが、つまりある音の善し悪しを自分とは別人の第三者が、あらかじめ決めてしまっていることなのか。このような「ピュア」を求める傾向は、実のところ音に限ったことではない。  例えば、今自宅で取っている新聞には時々、スーパー・マーケットや住宅販売の折り込み広告に混じって、美容関係のチラシが入っている。男性のカツラ、女性のシワ取りなどである。確かに黒々とした毛髪やピチピチと張りのある外観は魅力的なのかも知れない。だが、これには違和感がある。人間は(というより生物は全て)、年齢と共に老い、その形を変えていくのであるからだ。いつまで経っても純粋(ピュア)なことなどあろうはずがない。
   


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