Vol..138/2009/7
「ジャーナリズムが存在する限り」(再・中)

 前回からの続きで、知り合いの雑誌編集者に向けて一斉に送ったメールからの抜粋と加筆である。

 デジタルカメラやビデオにしろ、誰もが手軽に表現手段を持った今、写真が客観的事実を写さないということはみんな知っている。写真は客観的ではあり得ない、ということも周知となった。じゃあ写真は今後、どういう役割を果たしていくのだろうか。
 また、カメラは道具でもある。ペンやビデオ、インターネットと同じように記録媒体である。何かを訴える、伝える、表現する道具に過ぎない。だが、写真ということに関して、日本においては「カメラ雑誌」は多くあるが、「写真雑誌」はそれほど見受けられない。カメラが主役で、写真が脇役になってしまっている。
 まあ、目の前の事実を記録、表現、伝達するのに、道具はたくさんあっても良いと思う。私には、私が事実と考える事実を伝えるのに写真が一番合っている。そして、最も効果的に伝えやすいのだ。事実を伝える道具としての写真。写真は一瞬を切りとる芸術ともいえる。写真でしか表現できないもの。それは必ず存在すると思っている。

 
言葉の不自由な見知らぬ土地で写真を撮る楽しみの1つに、レンズを通して初対面の人と「会話」をすることができることだ。写真を撮る前に、敢えて声をかけない。目と目が合った瞬間、写真を撮りますよ、という「気」を送る。一瞬の勝負である。カメラを構えてファインダーを通して、その人を見つめる。レンズを見つめ返す目。そこで再び目が合う。シャッターを切る(ビルマ)。
 


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