Vol..137/2009/6
「ジャーナリズムが存在する限り」(再・上)

 写真を取り巻く時代や社会状況は変わろうとも、写す対象はいつも目の前にある。記録すべき対象は目の前にあるのだ。私の尊敬するフォトジャーナリストの1人、セバスチャン・サルガドは言う。
 「ジャーナリズムが存在する限り、フォトジャーナリズムも存在し続ける」、と。
 写真は、写しとられたイメージに説得力がある限り、伝えるという役割を持ち続けるということだ。私自身、写真だけに固執するには、ジャーナリストとして失格かも知れない。映像の時代だからといって、文字がなくなるわけではない。ペンを持つ者が文学や俳句で人を感動させる。その道具をいかに使いこなすか。各々のジャーナリストの力量がいまこそ問われているのではないか。
 ビデオには手を出さない私だが、インターネットを使って自分の取材結果を発表している(http://www.uzo.net/)。10月のアクセス数は、1ヶ月間で約40万ヒットを記録し、世界中の30を超える国からのアクセスがあった。雑誌だけに頼っていたら、やる気を失せてしまうが、インターネット上で、写真を使っての発表に手応えを感じている。
 

 確かに、発表メディアは多様になった。しかし、ジャーナリストが伝えなければならない核心は、依然として変わらずに存在し続けている。それは、ヒューマニズムであると私は思う。ヒューマニズムとは全くあやふやな表現だが、写真に限らず、ジャーナリストたちは多種多様な表現手段と媒体で、それを表すべきだと思う。

 内戦や貧困の写真ばかり撮って果たして現状が変わるのか。そう聞かれることがある。言わしておけばいい。私は、誰か特定の分野で気に入られるために写真を撮っているわけではない。逆に、私は「そう言うあなたは何をしているか」、と問いたい。行動することをせず、評論だけに力を注ぐ人を相手にしない。ジャーナリストとして、精一杯創作活動に専念しておれば、そういう言葉は、発することはまず、できないはず。
 報道写真は古い。そう言う人もいる。何を基準にして古いというのか。写真という事実の捉える形態が古いのか?そう言う人は果たして現場に出て、徹底的に写真を撮る努力、発表の努力をしたのか。
 時代が変われば写真としての表現方法は変わり、見る人の受け取り方も変わる。しかし、ヒューマニズム溢れる写真、人の生き方を捉えた写真は、必ず見る人の「ココロ」を捉えると、私は信じる。

(つづく)

   


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