Vol..137/2009/6
「ジャーナリズムが存在する限り」(再・上)

 時代が変わるのは当然である。変わらぬ方がおかしい。状況が変わったからと言って嘆いてばかりいても仕方ない。それは報道写真の世界も同じ。2000年4月、月刊誌としての『ライフ』が、秋風が吹く頃には、『アサヒグラフ』や『太陽』が休刊となった。
 1970年代、フリーの報道写真家の活動が全盛期を迎えた。それは、フォトジャーナリズム界をリードしていた米国がベトナム戦争に関わっていたからだ。しかし、現在も世界中で紛争は起きており、実際米国はNATO軍の名のもと、いわゆるコソボ紛争に介入した。しかし、今の写真は、ベトナム戦争当時ほどの力を持っていない。当たり前だ。テレビはもちろんのこと、衛星放送、インターネットを使って、現地の様子がリアルタイムで伝えられているからだ。このことは、もう言い尽くされている。
 写真の役割の相対的な低下は、時代の流れとして当然だ。だから、「70年代の頃が良かった、あの頃に戻りたい、あの頃に生まれていたら」、って思うのは、それこそ、ないものねだりである。フォトジャーナリストは今、自分の生きている時代はどうなのか、そのことを考え、未来を見据えなければならないと思う。過去の写真の栄光の時代ばかりを見つめていては何も進まない。時代を見据える眼、視点があれば、写真は生き残ることができると思う。

   バブルのはじけた90年代初め、私はフォトジャーナリストという仕事に就いた。その時から、この状況 ─ なかなか発表の場が確保されない ─ が当たり前だった。写真全盛の時代と違うから、当然だと思っていた。しかしこの数年、写真を発表する場としての雑誌を取り巻く状況はさらに悪くなっている。
 写真を学び始めて今年で丁度10年たった。フォトジャーナリストとして仕事を始めてわずか9年目の37歳の私が何を言えるのか。3日後に迫った、次の長期取材に出る前に、私なりにフォトジャーナリズムとは、フォトジャーナリストの仕事とは、ということを考えてみた。
 ユージン・スミス、ロバート・フランク、土門拳、岡村昭彦、吉田ルイ子、長倉洋海、大石芳野、樋口健二、石川文洋……。本棚にある写真家の本を読み返した。さらに、ビデオに録画していた沢田教一やロバート・キャパ、一ノ瀬泰造などの写真家の物語を見直した。今も昔も、報道写真家は特に、フリーの報道写真家は大変だった。今だけの状況ではなかった。
   


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