Vol..133/2009/2
「変色した新聞記事と変わらぬ写真」

 今、14年前のことを、思い出しても仕方ない。
 だがなぜか、その体験として身体にしみ込んだ何かが訴えている。震災の被災経験を特権化するつもりはない。誰にだって、想像できない事件や事故が、いつでもどこでも降りかかっているのだから。でも、その体験を、簡単にやり過ごせない何かが、やっぱりある。

 意識しながら新聞の切り抜きを始めて20数年が経つ。これまで日本で目にした最高の新聞記事が、この震災関連の記事で出稿されたことを改めて思い出す。
 あの記事どこにしまったかな? 時間と共に変色した新聞紙が出てきた。デジタル写真では味わえない時間の経過である。私が最高の新聞記事と思うのがこれである。見開き一面が名前で埋まっている。震災で亡くなった人びとの氏名である。人の氏名という事実の羅列だけだが、衝撃的な紙面である。それ以上の事実はない。一人ひとりの名前が重たい。これは単に経済面の株価の指標なのではない。警察発表を元にしているとはいえ、ただ単なる文字ではない。ひとり一人の暮らしがあったんだ。そう思うと、胸が詰まる。この紙面の裏も、前も、後も、名前でいっぱいなのだ。

 『読売新聞』は、紙面編集を担当した木村未来記者が、「名前記事」の後に一文を添えている。

 

 どうか安らかに
 一月十七日の震災の震災から百日。
 瓦礫(がれき)が残る被災地にも春風が吹き、街が、人が  再建に頑張っています。
 震災直後から、お亡くなりになった方々の名前を確認する  担当となりました。そのお名前は、五千五百一人にのぼりました。  一人ひとりが生きた証(あかし)と無念さを感じ、人生に思いを  はせました。
 それぞれの夢が一瞬にして奪われた事実を、この悲しい紙面が  物語っているのです。|
 「息子夫婦が阪神大震災の犠牲になったことを、子孫に  伝えたい。記憶を薄れさせないことが、私たちの努めです」。
 淡々と語る母親の声が、今も耳に焼きついています。
 冬から春へ。五千五百一人のさまざまな思い出と付き合って  きたような気がします。どうか安らかに、力強く立ち上がる者の  歩みを見守っていただきたいと切に思います。

(木村未来記者)

   


This site is developed and maintained by The Perth Express. A.B.N.29 121 633 092
Copyright (c) The Perth Express. All Reserved.