Vol..133/2009/2
「変色した新聞記事と変わらぬ写真」

 ドンと突き上げる衝撃。瞬時に、ゴォー(ごぉぉおぉー)という衝撃と揺れが続いた(こういう場合の体感は、なぜかひらがなが似合う)。当時住んでいたのは、14階建てのマンションの最上階の部屋だった。揺れに揺れた。その時、当時のパートナーをしっかりと抱きしめていたという記憶がある。
 大丈夫だよっ、と。
 でも、ごぉぉっっ、は本当に恐ろしかった。マンションが一瞬、あっ、倒れるか、と思ったくらい。同時に、あ、これは夢か、とも。どのくらいの間、揺れがあったのか覚えていない。長かったような、短かったような。   海外に出かける(といっても辺境が多いが)フォトジャーナリストの仕事をしていて良かったと思うのは、どんなことが起こっても、なぜだか頭は冷静に保つことができることだ(ある程度だけど)。
 非常時にアドレナリンが身体の中を駆けめぐり、何が安全か何が安全でないのかを身体で判断し、本能的に身の安全を確保しようとすることだ。
 あの地震が起こったとき、数十秒の揺れの後、すぐに脅威は去ったと確信した。とりあえず逃げなければ。近くの公園へ避難する。周辺を歩き回ってみた。地面が割れて、地中から砂が吹き上げた後がある。これが(後で知る)液状化現象だった。
 さ、起こったことは仕方ない。部屋に戻って、何事も無かったように、いつものように掃除をする感じで、後片付けを始めた。散らかった食器を片付け始めたっけ。淡々とした数時間が流れるだけだった。

 
地震後、道路・鉄道の交通手段は寸断された。海が近い神戸では海上輸送による支援活動が続けられた。人工島六甲アイランドから対岸の人工島ポートアイランドを臨む。
   


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