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パースエクスプレスVol.158 2011年3月号

「やりすぎコージー」 パースロケ密着!千原せいじさん、チャドの実家で親孝行!

本誌独占インタビュー 卍LINE

在パース日本国総領事 佐藤 虎男氏 離任

ニュージーランド・クライストチャーチ地震

 芸能
  「やりすぎコージー」 パースロケ密着!
千原せいじさん、チャドの実家で親孝行!
テレビ東京の人気番組「やりすぎコージー」の、先輩芸人が後輩芸人の実家に行き、代わりに親孝行をするという企画“実家に泊まろう!2”が、2月9日にオンエアされた。その後輩に抜擢されたのが、パース出身のチャド!チャドの実家を訪れたのが、千原兄弟の千原せいじさん(以下、苗字省略)だった。

 2010年11月某日、深夜のパース到着便に搭乗したせいじさんだったが、なかなか入国出口に姿を現さなかった。遅い。何かアクシデントがあったのか?その時、関西弁の「何でぇやねん!」がロビーに木霊した。なぜ、せいじさんがイミグレーションで足止めを喰らい、事細かに調べ上げられたのかは、今でも不明。ちなみに、今回のこのパースロケは、本誌スタッフがコーディネイトを務めている。  今回のパースロケは、まさに強行日程だった。その過密なスケジュールの中、ほぼ英語を使わずに現地の人たちと交流し、タスクを着実にこなしたせいじさん。そして、番組のコンセプトである“後輩芸人の親への孝行”も無事やり遂げた。クライマックスとなるチャドからのビデオレターをせいじさんは、チャドの両親へ渡す。息子チャドからのメッセージに涙する両親を横に、せいじさんの微笑む横顔は世間一般で言われている“千原せいじ”というキャラクターを一瞬脱ぎ捨てていた。

無事ロケが終了し、最終ロケ地から直接、パース国際空港へ移動したせいじさんと撮影クルー。搭乗前のせいじさんにインタビューした。

本誌:番組「やりすぎコージー」についてお聞かせ下さい。
「自分は無理せず、肩肘張らんとやってます。スタッフみんなと楽しんで作ってますので、ぜひご覧下さい。」
本誌:後輩チャドについて。
「昔と違って“売れる芸人”へのプロセスは違ってきています。誰にもチャンスはあるし、運も必要と思いますよ。」
本誌:パースの印象はいかがでした?
「入国の時のイミグレーションは、めっちゃ困ったわ。“何も持っへん”って何べんも言ったのに分かってくれへんし、パスポートも何べんも確認された。ホンマ、腹立ったわ。でもな、ピナクルズとかのスケールの大きい大自然やチャドのおとんやおかんの人柄に触れて、180度変わった。パース、いいトコやなぁ!将来、息子を留学に来させよかなぁ〜!」

『やりすぎコージー』
テレビ東京で毎週水曜日22:00〜22:54に放送しているバラエティ番組。今田耕司、東野幸治、千原兄弟が出演。
http://yarisugi.jp/

『チャド・イアン・マレーン』
パース出身のお笑い芸人。コンビ名は、チャド・マレーン。外国人初の吉本総合芸能学院(NSC)入学生。ぼんちおさむの4番弟子。本誌創刊時の立ち上げスタッフだったことは余り知られていない。
http://zipang.laff.jp/

店員からの英語に頷き、カフェで朝食を日本語でオーダーする千原せいじさん。
店員からの英語に頷き、カフェで朝食を日本語でオーダーする千原せいじさん。

大自然のピナクルズを前に思わずカメラを取り出す。
大自然のピナクルズを前に思わずカメラを取り出す。

チャドのお父さん(写真右)と初対面を果たすせいじさん。
チャドのお父さん(写真右)と初対面を果たすせいじさん。

チャドのお父さんとお母さん(写真手前中央)、親戚や友だちも大集合。
チャドのお父さんとお母さん(写真手前中央)、親戚や友だちも大集合。

裸の付き合い?!スパに入る千原せいじさんとチャドのお父さん。
裸の付き合い?!スパに入る千原せいじさんとチャドのお父さん。

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 芸能
  本誌独占インタビュー
卍LINE
独特の感性をもとにメッセージを送り続ける卍LINE。そのメッセージは、DeejayスタイルにてReggaeの音楽に乗せ放たれる。社会の矛盾や欺瞞を痛烈に批判する一方、ある種の温かさや優しさが感じられるその力強いメッセージは、今までにも多くのオーディエンスに影響を与えてきた。 今回は4月2日、パースでライブを行う卍LINEに独占インタビューを行った。

多くの海外公演をこなされている中、2009年にはオーストラリアのシドニーなど東海岸にて公演されていらっしゃいますが、今まで西海岸のパースには訪れたことはございますか?
現時点で、どういった印象をお持ちですか? 「正直全然イメージないです、だからまっさらの赤ちゃんのおしりです。」
昨年の8月25日には3rd Album『TIME WAVE』がリリースされました。多くのアーティストとコラボレートされていますね。このアルバムを通して自身が伝えたかったメッセージとは何でしょうか?
  「このアルバムに限ったわけではないですけど、僕自身含め、人生の道しるべや娯楽、活力、原動力になるような動きをしていきたいです。」
数ある音楽スタイルの中で、音楽活動にDeejayというスタイルを選ばれたのは、なぜだったんでしょうか?
「レゲエが好きだから、ってのが一番シンプルですけど。やはり現場ありきのシーンで侍達と切磋琢磨できる環境ですかね。ラフでタフ、アイリー(楽しい)でレベル(反抗)。」
また、音楽ジャンルとしてReggaeを選ばれたのは、何かきっかけのようなものがあったのでしょうか?
「友達とか生活環境です。」

卍LINE

『現場での叩き上げReggae Deejay』として、オーディエンスはどういった存在ですか、またフロアとはどういった場所ですか?
「みんながいるから俺が上がってるのか、俺がいるからみんなが上がってるのかわからないほどのバイブスの一体感は、やはりお客さんあっての話。遊び相手でありライバルのような、毎回いい緊張感とリラックスのバランスを楽しみます。フロアは、遊んでいる間に世界が変わっている最前線の現場です。」
年間およそ100本ほどのライブをこなされていますが、何かげんを担いだり、ジンクスみたいなものはございますか?
「ないです。その状況の中でどれだけ楽しめるか。」
日本で公演される時のモチベーションと、海外で公演される時のそれとは何か違いがあるでしょうか?
「お客さんは基本日本人なんで、そこまで気持ち的に変わらないです。シチュエーションの違いを楽しむ的な」
海外での公演で、プライベートの時間に楽しみにされていることはありますか?
「その国オリジナルの体験が一番」
パースで卍LINEのライブを楽しみにしている本誌読者やファンの皆さんに一言お願いします。
「楽しみにしてます、ガガっとやっちゃいますんで知らない人まで誘って来て下さい。」

卍LINE(まんじ らいん)
 プロフィール

1995年より芸能活動を開始し2006年からはReggae Deejay『卍LINE』として活動をスタート。クラブイベントで年間100本近いショーをこなす。2008年6月にはファーストアルバム「卍LINE」をリリース。翌年2009年8月には自身のレーベル「AMATO RECORDZ」を立ち上げ、セカンドアルバム「VORTEX」をリリース。2010年8月には3枚目のアルバム「TIME WAVE」をリリースする。
ウェブサイト:www.manjiline.com
卍LINE

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 政治
  在パース日本国総領事 佐藤 虎男氏 離任
3月3日、パース市内のホテルにて在パース日本国総領事館第19代総領事、佐藤虎男氏の離任式が行われた。同氏よりのパースでの思い出などを綴った挨拶文を紹介する。

パースは、何らかの形で一度は訪れて見たいところでしたので、今回、総領事として在勤する機会を得ましたことを幸せに思いました。
 この度、任期終了に伴い帰国することとなりました。任務を全う出来たのも多くの在留邦人の方々のご支援を得ることが出来たからであり、改めてこの場をお借りして御礼申し上げます。

当地在勤は約3年間でしたが、日本・西豪州間の更なる発展を期するため、経済関係の強化に加え、文化・人的交流の促進にも心を砕きました。この間、種々の出来事を経験しましたが、最も印象深かったのは、日本の外務大臣2人が2年連続で西豪州を訪問(2009年中曽根大臣、2010年岡田大臣)したこと、またバーネット西豪州首相が2度にわたり訪日(2009年2月、2011年3月)したことですが、こうした要人交流は日・西豪州交流史上特筆される出来事であったと思います。更には、新たに建造された南極観測船「しらせ」が2009年に2年ぶりにフリーマントルに寄港したこと事も忘れ難い思い出となりました。

総領事としての公務も忙しい面はありましたが、私は、自然と親しむことが大好きな人間として、自然と人間が絶妙に共生するこのパースにおいて、週末を含め人間らしい生活を満喫出来ましたことを嬉しく思っております。

離任式でお別れの挨拶をする佐藤在パース日本国総領事
離任式でお別れの挨拶をする佐藤在パース日本国総領事

来賓として乾杯の挨拶を行なったコリン・バーネット西豪州政府首相
来賓として乾杯の挨拶を行なったコリン・バーネット西豪州政府首相

私も元々「旅」好きな一人ですが、「旅」は日本人にとっても一つの重要な文化となっているのではないでしょうか。 日本文化に詳しい呉 善花 拓殖大学教授によりますと、「旅」と「旅行」には多少の違いがあります。前者は、特段緻密な計画を立てることなく、自分のペースで歩き回りその過程で色んな人との出会いや風景等をゆったりした気分で楽しむことが主たる目的であるのに対し、後者は観光、知人訪問、商用等の特定目的のためといったニュアンスがより強いように思われます。

パースは、広大な豪州内でも東部海岸諸都市より遠く隔絶し、地理的には孤立した状況にあります。しかしながら、近代的な町並みと住宅街が美しい自然と見事に融合し、居住者或いは旅行者の間でも大変快適な都市として高く評価されております。
 また気候温暖で、市内には優雅なスワン川が流れ、また雄大なインド洋を背景とした多くのビーチやヨットハーバーを含め、マリーンスポーツが非常に盛んなところでもあります。
 更には、西豪州を代表する最高学府「西豪州大学」を始め4つの国立大学の他、TAFEと呼ばれる専門学校や多数の語学学校もあり、勉強や研究のための環境も大変恵まれたものがあります。 このようにパースは日本人にとりましても「旅」目的で訪れるのも良し、またきちんとした「目的」意識を持って訪問、ないし滞在するところとしてもお勧めの地です。

最後になりましたが、日・西豪州関係の更なる発展と西豪州在留邦人の皆様方のご健康とご多幸をお祈りしております。

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 社会
  ニュージーランド・クライストチャーチ地震
2010年のカンタベリー地震に引き続き、2011年2月22日、午後に再び大きな地震に見舞われたニュージーランド。この地震によって多くの死傷者が出たのと同時に、人々の生活や文化、経済などニュージーランド全体に深刻な被害が出ている。

2月22日(火)午後12時51分、ニュージーランド南島中部にあるクライストチャーチ市より南東10kmの場所で、マグニチュード6.3、震源の深さ5kmの地震が発生した。今回の地震は、昨年9月4日にダーフィールド付近で発生したカンタベリー地震(マグニチュード7.1、震源の深さ10km)よりも震源が浅く、クライストチャーチにより近い場所で起きた。調査によると、カンタベリー地震よりも身体に感じる揺れは大きかったという。

 地震とその直後に発生した火災の影響で、多くの人々が建物の中に取り残され、崩壊した建物の下敷きとなった。また、ニュージーランド南島にあるほとんどの病院が多くの被害者で溢れ返った。地震発生の翌日、23日の午前中までに70名が救助されたが、その後救助作業は難航。政府は、3月4日時点で163名の死者を確認、死者数は220名に到達すると予想されている。

 建築物への被害に関しては、市のシンボルであったクライストチャーチ大聖堂が崩壊し、クライストチャーチ市の文化遺産建築物の半分が崩壊の危機にあり、立ち入り禁止となっている。また、東部郊外地区での被害が大きく、1,350戸の住宅が深刻なダメージを受けた。

 今回の地震により、3,000人以上が失職、38,000人以上の労働者が政府の救済政策に申し込んだ。また、クライストチャーチ市を中心とした5,600以上のビジネスが営業中止となるなど、ニュージーランド全体の経済にも大打撃を与えた。米国大手金融企業JPモルガン・チェースによれば、今回の損失は1994年のカリフォルニア地震以降2番目に多い総額約120億米ドル(約9,900億円)になる見込み。

 オーストラリア政府は、ニュージーランドへ300人以上の緊急支援部隊を派遣し、5億豪ドル(約415億円)の援助を申し入れている。日本からも国際緊急支援部隊が派遣され、2月24日に現地入りし、救援にあたった。倒壊したクライストチャーチ市のCTVビルには、日本から多くの留学生が通う語学学校が入居しており、通っていた日本人学生のうちの7名の死亡が3月12日の時点で確認されている。

<当記事編集:3月12日>

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