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パースエクスプレスVol.157 2011年2月号

ピアノデュオ LesFreres(レ・フレール)斎藤守也さん・斎藤圭土さん 本誌独占インタビュー

Aリーグ『シドニーFC』で活躍する日本人プレーヤー 森安 洋文 選手

洪水・サイクロンがオーストラリアを襲う

 芸能
  ピアノデュオ LesFreres(レ・フレール)
斎藤守也さん・斎藤圭土さん
本誌独占インタビュー
2002年に結成された『レ・フレール(フランス語で「兄弟」の意味)』は、斎藤守也(さいとうもりや・兄)と斎藤圭土(さいとうけいと・弟)の兄弟によるピアノデュオ。2006年11月にリリースしたメジャーデビュー作『Piano Breaker/ピアノ・ブレイカー』は、オリコン・ウィークリー・チャートにおいてピアニストデビュー作の歴代最高位を記録し、更にゴールドディスクを獲得。今回本誌では、今年3月にオーストラリア5都市でのツアー公演が決まったお2人に、独占インタビューを一問一答形式にて行なった。お2人の音楽にかける思い、今回のステージにかける情熱を語ってもらった。

本誌:ご兄弟共に15歳という若い段階から、ルクセンブルク国立音楽学校に留学してクラシックピアノを学ばれたと伺っておりますが、ご家庭は音楽に対して英才教育だったのでしょうか。
守也
:英才教育ではありません。自分は11歳でピアノを始め、両親は楽器をやりません。
圭土:僕は6歳の時、自らピアノを習いたいと両親にお願いしました。家族にピアノを習っている人はいませんでしたし、両親も音楽とは関係のない仕事でしたので、親から勧められたり、英才教育を受けたことはありませんでした。

本誌:7人兄弟と伺っております。兄弟の中でお2人がともに活動されるきっかけになったのは何だったのでしょう。
守也:音楽が好きで、ピアノを続けたのが、たまたまこの2人だったんです。
圭土:7人のうち2人が音楽を続けたので、自然な流れでユニットを組みました。

本誌:お互いの尊敬できるところはどういったところですか?ピアノのスタイル以外についても教えて下さい。
守也:ブギ・ウギ・ピアノの即興と疾走感。自分をしっかり持っているところ。
圭土:歌心のある演奏と作曲。自信があるところ。

本誌:『連弾』はよく耳にする技法ですが、お2人が構築された『キャトルマン・スタイル』は、通常2本の手で成し得ない可能性を4本で探りながらできたものだと伺っています。守也さんはバラード、圭土さんはブギと異なるジャンルですが、弾き辛かったりすることはないのでしょうか?それともやはり、お互いの異なったジャンルをさらに広げる可能性の方が大きいでしょうか?
守也:異なったジャンルという感じではありませんが、可能性が広がる方が大きいです。物理的に弾きづらいことはありますが、それも楽しいです。
圭土:僕が専門的に演奏しているブギ・ウギ・ピアノは、100年ほど前にアメリカで生まれたピアノ・プレイ・スタイルです。このスタイルを継承していくために、活動の中では、古い楽曲もたくさん演奏しています。一方、『レ・フレール』は連弾のために書き下ろしたオリジナル楽曲を演奏しています。オリジナル楽曲には、バラードもあれば、ブギ・ウギもありますし、それ以外のジャンルの曲もあります。連弾の可能性に挑戦する新しい音楽を生み出し、音楽を楽しむ時に、ジャンルを意識したことはありません。

本誌:お2人の演奏スタイルは、ピアノと一緒に楽しく遊んでいるように見えます。“兄弟が叩き続ける魂のブギー・ピアノ”と評されることが多いようですが、そう言われることに対して何かこだわりなどはありますか?
守也:『レ・フレール』の活動は、連弾の新しい可能性にこだわっています。その中の1つとして、ブギ・ウギ・ピアノもありますが、ブギ・ウギ・ピアノはしっかりとしたピアノのプレースタイルなので、少し異なります。
圭土:『レ・フレール』を通して、ブギ・ウギ・ピアノに興味を持ってもらえたら嬉しいです。
 
本誌:今回、なぜオーストラリアで公演することになったのでしょうか。 きっかけをお聞かせ下さい。
守也:色々なところで、色々な人に聴いてもらいたいので、オーストラリアで演奏できるのを楽しみにしています。
圭土:国際交流基金の方にお話をいただきました。今回は5都市で演奏できるということで、とても楽しみにしています。
 
本誌:海外公演の際にもやはり相棒の『ダニー君』と一緒に舞台に立たれるのでしょうか?
※『ダニー君』とは、『レ・フレール』が演奏するピアノの愛称。
守也:できればダニーの音で皆さんにお届けしたいのですが、ダニーは国内ツアーだけです。
圭土:ダニーは留守番です。
 
本誌:今回の公演は3枚目のアルバムの発売予定である4月6日前の公演となりますが、そのアルバムからの曲なども演奏されるのでしょうか?今回の公演の全体的な構成は、どのようなものになる予定でしょうか。
守也:公演内容は構成中ですが、最高のステージをお届けします。
圭土:演奏する曲はまだ未定ですが、海外の方にも、日本の方にも楽しんでいただけるコンサートになると思います。
 
本誌:最後に海外に住む日本人の方々へ、そして日本人以外の方々へ、今回の公演を通して感じてもらいたいことは何ですか?
守也:オーストラリアで演奏できることを楽しみにしています。『レ・フレール』のステージ、日本発のキャトルマン・スタイルをお楽しみ下さい!
圭土:僕らがオーストラリアで演奏できるのを本当に嬉しく思います。僕も海外に住んでいたことがありますが、その時にその国々の素晴らしさを知りました。そして、日本の素晴らしさも知りました。国境を越えて一つになりたいと思います。


斎藤守也さん(写真奥)と斎藤圭土さん(写真手前)
斎藤守也さん(写真奥)と斎藤圭土さん(写真手前)


<プロフィール>

斎藤 守也(さいとう もりや)
1973年11月5日生まれ。横須賀市出身。11歳からピアノを始める。15歳の時、ルクセンブルク国立音楽学校に留学、卒業後帰国。帰国後は作曲活動やライブ活動を行なう。バラードを得意としながらも、クラシックからポップまで幅広いプレイで聴く人の心を魅了する。

斎藤 圭土(さいとう けいと)
1978年11月18日生まれ。横須賀市出身。6歳からピアノを始める。15歳の時、ルクセンブルク国立音楽学校に留学。留学中に出会ったブギ・ウギ・ピアノを独学で始めた。古典的ブギ・ウギの継承者、次世代を担うブギ・ウギ・ピアニストとしても国内外で注目を集める。

『レ・フレール』のオフィシャル・ウェブサイト:
http://lesfreres.jp

斎藤守也さん(写真右)と斎藤圭土さん(写真左)
斎藤守也さん(写真右)と斎藤圭土さん(写真左)

<パース公演のインフォメーション>

オーストラリア5都市を回る今回のツアーのパース公演。
日時:2011年3月12日(土)/8pm〜
場所:The Astor Theatre(住所:659 Beaufort St. Mt. Lawley)
料金:$18〜$35
ウェブサイト:www.jpf.org.au

 

 

 スポーツ
  Aリーグ『シドニーFC』で活躍する日本人プレーヤー
森安 洋文 選手
一度は、現役生活にピリオドを打つことまで考えた。しかし、自分の思いに逆らうことなく、オーストラリアの地へ。そして、夢が現実へと変わった。
パース・グローリーFCとの対戦のためパースを訪れた森安選手に話を伺った。
(収録日:2011年1月28日)

オーストラリアでプレーすることになったきっかけを教えて下さい。
森安選手:日本では、日本フットボールリーグ(JFL)の三菱水島FCでプレーしていましたが、当時自分は24歳で、サッカー選手を続けていけるのか、それとも、いわゆる普通の仕事に就くべきなのか、将来に不安を抱いていました。そこで、Jリーグの清水エスパルス・ユースチームでの仕事のオファーを頂いたんです。それは、現役を引退するということを意味していました。しかし、“このまま引退したら後悔しか残らない”と思う自分がいて、“まだサッカーがしたい”という気持ちがふつふつと湧いてきたんです。でも、日本ではない別の地で。小さい頃にアメリカにいたことがあり、英語で会話ができるので、英語圏に行こうと決断しました。そして、すぐに行動に移せるオーストラリアへ、ワーキングホリデー・ビザで来ました。


サッカー選手としては、ラストチャンスと覚悟し、シドニーの地に足を踏み入れたと伺いました。
森安選手:そうですね、もう若くもないので。20歳前後でしたらやり直しがきくかもしれませんが、25歳の段階ではリスクが高過ぎる。本当にラストチャンスでした。

森安 洋文 選手
森安 洋文 選手


日本とオーストラリアのサッカーの違いはどんなところですか?
森安選手:
試合に対するメンタルは、かなり違うと思います。オーストラリア人の方が試合に勝ちたいという気持ちが強いかもしれませんね。球際の強さも日本と違うのは、そのメンタルからくるのかもしれません。日本だとボールを奪ってから、パスを回すことが多いですが、こちらではボールを持ったら、数的に不利でもすぐに仕掛けます。ゴールに向かう姿勢という点ではポジティブですね。


豪州国内最高峰のリーグでプレーできているのは、何が他の選手と違ったのですか?

森安選手:試合中はボールを受けて、さばいて、ボールを動かして、散らすといった役割が多いので、自分の持ち味はパスの精度だと思います。日本では全然動きまわる選手ではなかったんですが、こっちに来て、周りからはそう思われているようです。日本人は真面目って思われがちですしね(笑)。練習の後もクールダウンして、ストレッチして、ごく当たり前のことをやってるんですけど、それがこっちの人からしてみれば、良いことをしてるという評価になってしまうようです。


昨年の8月21日、ラウンド3のブリスベン・ローアー戦でAリーグデビューを果たしましたね。その時のお気持ちは?
森安選手途中出場でしたし、試合も負けていたので、試合の流れを変えられればいいなという気持ちでした。


3月に“これがラストかもしれない”という気持ちでシドニー入りして、8月にはもうすでに『シドニーFC』のメンバーに名を連ねていた。何か思うことはございましたか?
森安選手:その時は、特に何も思っていませんでした。自分でも試合に出れる、と思って練習に取り組んでいましたので。自分は外人枠の選手なので、逆に試合に出れないと何をしに来ているんだ、となってしまいます。


9月4日、ラウンド5のアデレード・ユナイテッド戦。後半から出場し、負傷して鼻血を出していますね。相手選手の肘が鼻にあたったんですか?
森安選手:日本だとイエロー、もしくはレッドカードが出ていたと思いますが、こちらだとプレーオン。審判の基準も日本とは全然違います。フィジカルは、確かに強いといった印象です。根本的に彼らは体が大きいので。しかも、その強いフィジカルで、日本では絶対にしないようなタックルも普通にしてきます。オーストラリアでプレーするのに、それが最初にてこずったことです。


8月に開幕してから10月24日のパース戦まで勝利がなかった。その試合の前に自身のブログで、監督を気遣うコメントを残されていますね?
森安選手:監督とは、こちらで初めて会いました。人間としても素晴らしく、日本ではなかなか出会えないタイプの監督です。日本だと選手は監督に畏縮してしまいがちですが、もちろん文化の違いもありますが、こちらでは会話や対応もとてもフレンドリーにできます。もちろんそこには、リスペクトもあります。


10月頃からレギュラーメンバーに定着してきましたね。
森安選手:ラウンド8ぐらいからですかね。僕も正直こんなに早くいくとは思いませんでした。自分にとって、そもそもシドニーFCへの入団までがとんとん拍子でした。去年、日本のJFLでプレーしてて、3月にこちらに来て、7月にシドニーFCへの練習参加、8月に契約。プロになって、シーズンの1/4が終わった時点でスターティング・メンバーに定着でき、そして今年の3月からは『アジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)』に出場して…。


そう考えると、2010年は劇的でしたね。そして昨年の10月、2年の契約延長を見事果たされた。お気持ちは?
森安選手:そうですね、やめようと思っていたところからなので。契約延長もありがたい話です。2013年までプレーができる。実は、更新時期がいつなのかも知らなかったんです。10月の半ば、お昼休みに突然チームのお偉いさんから声がかかり、「2日後ぐらいにチームの代表者たちと来年、再来年について話し合う会議があるから」と言われたんですが、実際よく分からなかったんです。そして数日後、オフィスに行き、渡された契約書を見てみると、複数年での契約更新でした。驚きました。


今年の1月3日、ラウンド23のニューキャッスル・ジェッツ戦で初ゴールを記録しましたね。
森安選手:シドニーFCでプレーする前のニューサウスウェールズ(NSW)州の1部リーグでは、結構、点は取れていたので待望のゴールでした。


ゴールを決めた後、指輪にキッスするようなパフォーマンスがありましたが…?

森安選手:日本に大事な人を待たせています。


3月からACLが始まりますね。昨年の3月、シドニーのスポーツバーで川崎フロンターレ対メルボルン・ビクトリーの試合をテレビ観戦されていますよね。今度はご自身がピッチの上に立つ番ですね。シドニーFCと同じリーグに鹿島アントラーズがいます。今のお気持ちは?
森安選手:シドニーに来たのが去年3月7日。その試合を観たのは、その1、2週間後くらいでした。そして、その1年後には、テレビの中で自分がプレーする。立場が逆転する。当時は想像できなかったことが、現実になっているので興奮しています。なかなかACLに出られるチャンスはありません。既に実力のある選手ではなく、自分は無名のところから這い上がって来ましたから。


今のご自身があるのは貪欲だったということですか?
森安選手:貪欲ということも大事ですが、自分にとって2010年はタイミングや運、全てが良い年だったと思います。


海外でプレーを目指す日本人サッカー選手へアドバイスを頂けますか?
森安選手:まず、言語は大事だと思います。自分は、海外で生活していましたので問題なく、そのお陰でスタート時点に立てましたが、コミュニケーションを図れないと、スタート地点に立てないこともあります。


実際、生まれはアメリカではないんですよね?
森安選手:はい、一部違った紹介のされ方をしていますが、日本の香川県生まれです。


当然、言葉だけでは成功はつかめませんよね?
森安選手:それから、メンタルですね。僕も日本にいる時より随分強くなりました。オーストラリア人もそうですが、外国人選手は我が強い人が多いので、その中でやっていくためには、自分を持っていないといけない。強くいることをキープすることが大事ですね。


最後にご自身の今後の目標をお聞かせください。
森安選手:3月から始まるACLで活躍したいです。活躍できれば違う道もできてくると思います。近い将来、日本でプレーできればとも考えています。もちろん、ヨーロッパでもやってみたいという気持ちもあります。サッカー選手なので。でも、最終的にはまだ経験したことがない日本のJリーグでプレーしたいです。

<プロフィール>
森安 洋文(もりやす ひろふみ)

1985年4月23日、香川県生まれ、25歳。自身の親の仕事の関係で2歳から中学2年生(一部日本帰国)までアメリカで育つ。清水エスパルス・ユース、JAPANサッカービレッジ、三菱水島FCでプレーし、2010年3月にシドニーへワーキングホリデー・ビザで渡る。NSW州1部リーグのAPIA Leichhardt Tigers FCで活躍し、国内最上位リーグのAリーグ所属、シドニーFCと1年契約を結ぶ。そして、2010年10月に更に延長の2年契約を得る。
森安 洋文 選手

 

 社会
  洪水・サイクロンがオーストラリアを襲う
昨年のクリスマス時期から始まり、今年の1月12日には、州都ブリスベンの中心地でも浸水被害に見舞われた、クイーンズランド(QLD)州。1月下旬には、西オーストラリア(WA)州でも暴風雨が発生し、2月3日には、豪州史上最悪のサイクロン『ヤシ』がまたもやQLD州を直撃した。

 QLD州では、昨年2010年末の大雨により洪水被害が発生し、1月12日には州都ブリスベン中心地でも浸水被害がもたらされた。日本国土の4倍以上に相当する面積が冠水し、12月からの死亡者は14人、復興費用は北東部QLD州だけでも100億豪ドルに上ると見込まれた。
  またWA州では、1月29日午後、暴風雨が州の広範囲を襲った。その影響で、2名の死亡が確認され、建物や送電線などが倒壊するといった被害も出た。パースから北へ約440kmのジェラルトンでは、17歳の少女が落ちていた電線を踏み感電死し、またパースから東へ約100kmのヨーク付近では88歳の女性が暴風の影響で車の運転が不可能になり、事故死した。WA州南部では、約5万5,000戸の家屋に停電の被害。パースから南へ約200kmのバッセルトンにかけての沿岸地域にも警報が出されたが、翌日1月30日には、勢力も弱まりをみせた。今回の暴風雨は比較的短時間ではあったが、威力は巨大なものであった。
  一方、昨年末から1月にかけて、洪水による多大な被害を受けたQLD州ではあったが、今度は2つのサイクロン『アンソニー』と『ヤシ』が同州を直撃。『アンソニー』は1月31日、カテゴリー2の勢力でケアンズから東南へ約550kmのボーウェン近くの海岸を横断した。そして、豪州史上最悪のものとなったもう一つのサイクロン『ヤシ』は、1月30日から勢力を強め、2月3日には最強のカテゴリー5でQLD州北部を直撃した。時速290kmの最大風力を記録し、歴史上初めて内陸700kmまで進行。2月5日までに犠牲者は死者1名で、多くの建造物が損壊した。ケアンズから東南約350kmのタウンズビルなどの地域は被害が大きく、復興作業では必需品の供給に焦点が置かれた。小売店は営業時間の延長を許可され、食糧の供給に従事。ギラード豪州首相はタウンズビルにて「過去30年で最も規模の大きい約4,000人の防衛軍関係者が復興作業に向かう」と発表し「1月のブリスベンの洪水時と同様に、軍隊の活躍が期待される」と語った。