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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.194/2014/03

最終回「たたらの里の暮らし考(23)」


熊野大社

【熊野大社】松江市の中心から南に約15キロ、車で約30分の山間にある。出雲国造である出雲大社の宮司が亡くなると、熊野大社に赴いて「火継」の式を行なう。現在の出雲大社に移る前、古代出雲王朝の中心があったと伝えられている。

八重垣神社   神魂神社

【八重垣神社】境内の「鏡の池」はクシナダヒメの御霊が沈んでいるとされ、今でも硬貨を紙にのせてその沈む時間と距離で恋愛運を占う若い女性が絶えない。

 

【神魂神社】本殿は最古の大社造建造物で、国宝に指定されている。


 伊勢神宮と同じ「神宮」となるべき格式の神社だったが、伊勢系の反発によって、「大社」にもなれず、ふつうの「神社」とされた。埼玉県の県庁所在地が氷川神社のある大宮ではなく浦和になった背景にも、「伊勢」に対する「出雲」の明治期の敗北があるのではないかと原は推測している。
 出雲王国について、歴史学者の津田左右吉は大和朝廷による創作であると断じ、梅原猛も「神々の流竄」(1970)で津田説を受け継いだ。神話にふさわしい遺跡がなかったからだ。だがその後、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で大量の銅剣や銅鐸が出土して、巨大な権力の存在が明らかになった。梅原は2010年、「葬られた王朝−古代出雲の謎を解く」を書いて、かつての自説を撤回した。
 梅原によると、朝鮮半島から渡来したスサノオが出雲王国を建国した。八岐大蛇退治の伝説は、翡翠を産出して強力だった「越の国」(北陸)の侵略を撃退したことを示す。奈良や京都に出雲系の神社が残るのは、北陸から近畿圏まで支配する強大な王国だったことを示すという。だが、大きくなり過ぎた帝国は運営が困難になり、稲作をもたらした天孫族に敗北し「国譲り」となる−。
 梅原猛が、荒神谷遺跡周辺の人々に尋ねてまわると、遺跡の発見された場所は昔から「祟りがあるので近寄ってはならない」と伝えられていた。古代出雲王朝の権威が「祟り」の形で21世紀まで残っていたのだ。
 島根は、新興宗教である仏教の影響が少ないため、独特で多様な行事や祭りが伝わり、観光客や研究者たちを魅了している。
   一方で、古代からつづく「神の国」ゆえの問題もあることを最後にちょっとだけ記しておこう。
 例えば、この連載で紹介した「狐つき」の家に対する差別は今も残っており、「あの家は狐つきだから」と結婚を断られるケースは今もある。また、ある地区では、特定の集落の住民だけが差別され、氏子代表であるトウヤ(当屋)になれず、神事で裃(かみしも)を着用することも許されない。被差別部落として名乗り出ることさえはばかられているという。
 よきにつけ悪しきにつけ、古代出雲王国以来の「神の国」の伝統が、島根には息づいているのである。