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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.191/2013/12

第20回「たたらの里の暮らし考(20)」


宍道湖から流れ出る大橋川の対岸が白潟地区

海が荒れる冬、美保関沖には風待ちの船が舳先をそろえて並ぶ。晴れると広い裾野をもつ大山も望める。

 かつて北前船の風待港として栄えた島根県の美保関(みほのせき)は、与謝野鉄幹や小泉八雲、高浜虚子らの文人が訪れ、全国のえびす社の総本社である美保神社には五穀豊穣(ほうじょう)を祈る参拝客が押しかけた。
 2010年秋の週末、美保神社界隈を歩くと、屋台からイカ焼きの香りが漂ってきた。神社から東に伸びる幅2メートルほどの「青石畳通り」は、敷きつめられた石畳が雨に濡れると、ほのかな青みが浮かぶ。旅館の屋号を記した看板が並び、往時の繁栄を思わせる。
 海岸沿いの車道ができるまでは、この路地が「本通り」だった。田植えが終わると「泥落とし」の参拝客で賑わった。客を満載にした汽船が入港すると旅館の客引きが群がり、新婚カップルが別々の宿に連れて行かれる「悲劇」もあったとか—。
 昭和30(1955)年頃、旅館や料亭、劇場や映画館、水族館が軒を連ね、夕方になると芸者が髷をかぶって三味線を小脇に抱えて旅館に入っていった。
 「ボク、ちょっとポンプを押すの手伝って」。三角邦男さん(71)は中学1年の頃、芸者に声をかけられた。水道の蛇口に風船をあてがって水を注ぎ、穴が開いていないか確かめている。その時は何をしているのかわからなかったが、2、3年後に「風船」が海にたくさん浮いているのを見て正体を知った。
 芸者の布団に横にならせてもらったら、自宅の綿の布団と違って柔らかい羽毛布団だった。「うゎ、芸者さんの布団はあったかい。芸者さんはこういういい布団で寝ちょるがなぁ」と感心した。
 美保関は、文人も好んで訪れた。お年寄りの話に耳を傾けると、「うちのおじいさんはハーンさん(小泉八雲)と泳いだ」「『鉄幹さんがそこを歩いとった』って近所のばあさんが言ってた」といった話が次々に飛び出す。大正時代創刊の月刊新聞「美保関新聞」は今も続いている。

 美保神社は全国のえびす社の総本社だから、信仰の町でもある。祭神の三穂津姫(みほつひめ)は大国主の妻で、高天原から稲穂を手にして地上に降りたため五穀豊穣の神様とされる。竹の棒の先を2つに裂いて美保神社の白い札をさして田に立てれば豊作になると信じられてきたのだ。