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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.188/2013/09

第17回「たたらの里の暮らし考(17)」


NPO法人「海士人」の事務所 バス停のわきにはコスモスが咲き乱れていた

右手がNPO法人「海士人」の事務所。シーカヤックの体験ツアーなどを催している。「海士人」と描かれたTシャツは人口の3倍も売り上げた。

バス停のわきにはコスモスが咲き乱れていた。


 町は08年4月、09年から10年間の「第4次総合振興計画」を作るため、役場の若手職員と、Iターン者や中学生を含めた住民約50人で「海士町の未来をつくる会」を結成した。「ひと」「産業」「暮らし」「環境」の4チームで1年間議論を重ね、かつての青年団のように貸し切りバスで先進地を視察し、「1人」「10人」「100人」「1,000人」でできることを具体的に提案する計画を完成させた。
 計画づくりを機に、保育園跡の建物でカフェを開いたり、県内外チームを招いてフットサルの大会を催したりする動きがでてきた。青年団OBで、計画づくりを担当した吉元操・財政課長は「みんなで島の未来を考え、議論することが人づくりの大きなツールになる。Iターンの人と地元青年の間にギャップもあるが、役場職員も含めて連携する動きが少しずつできてきている」と評価する。
 教育面では05年から、中学生が修学旅行先の東京で大学生に海士について講義したり、東京の若者を招いて海士で出張授業をしてもらったりしている。そうした交流の結果、島への愛着が高まり「いつか海士に戻ってきたい」と答える中学生が増え、海士中学校の卒業生の大半が町内の隠岐島前高校に進学するようになった。
 生徒不足に悩む島前高校を活性化するため、08年には「島前高校魅力化プロジェクト」を立ち上げた。学力向上を目指して公営学習塾を開くとともに、地域活動を担う人材の育成に力を入れている。
 その成果のひとつが、全国の高校生が観光プランを競う09年の「観光甲子園」でのグランプリ受賞だった。島前高生のプランのテーマは「ヒトツナギ」。4泊5日で、島内外の高校生がペアになって島の人々を訪ね歩くという内容だ。2010年3月、島外10人、島内13人(スタッフを含む)が参加するツアーを実現させ、ワカメ取りや牛の世話、郷土芸能などを体験した。最終日、泣きながらフェリーを見送ったスタッフの高校生は「人としてちょっと大きくなれた気がする」「みんなで実現させてすごい自信になった」……と真っ赤な目をしながら語り合った。

 07年に東京から移住し、役場で「魅力化プロジェクト」を担当する岩本悠さん(31)は、「かつての青年団と同様、仲間と一緒に課題を設定し、試行錯誤して目標を達成する体験の積み重ねが、人間を成長させるんだと確信できました」と語った。


(終)



〈海士町(あまちょう)〉

島根半島の沖約60キロの隠岐・島前の中ノ島(面積33.5平方キロ)1島で1町を構成。1950年に6,986人だった人口は2010年10月1日現在2,430人。高齢化率は39%。平成の大合併では、島前2町村(西ノ島町と知夫村)と合併を協議したが単独町制を決断した。1998年から月給15万円で島外からの「商品開発研修生」を招き、「さざえカレー」や「ふくぎ(クロモジ)茶」などの地域資源を商品化してきた。イワガキやシロイカ、隠岐牛は首都圏にも売り出している。