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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.187/2013/08

第16回「たたらの里の暮らし考(16)」


青年団の仲間だった、浜見敏明さんと青山富寿生さん 「夕市」から発展した「きんにゃもにゃセンター」の特産品売り場

青年団の仲間だった、浜見敏明さんと青山富寿生さん。

菱浦港で開いた「夕市」から発展した「きんにゃもにゃセンター」の特産品売り場。島で開発された商品の数々。サザエカレーなど多くのヒット商品が生まれている。


 浜見さんは90年、青山さんは91年に県庁に出向し、青年団を引退する。数年後には団活動は停滞し、「島にいてもおもしろくない」と言う若者が増えてきた。「自分たちでしたいことをやればいいじゃないか。援助するから」と言うと「したいことが思いつかない」と返された。
 青山さんら青年団OBは98年、島の未来を考える有志の会「中の島親類クラブ」を立ち上げ、大分県の由布院温泉や「一村一品運動」で有名な大山町(現在は日田市)を貸し切りバスで視察した。
 そのころ青年団OBを中心とした30代の町職員は、99年から10年間の「第3次総合振興計画」を作るため、毎日夜中まで議論を重ねていた。大山町で学んだ「モノづくり」は振興計画の3本柱の一つとなった。
 「親類クラブ」のメンバーは毎週土曜、軽トラックで農家から野菜を集荷し、菱浦港で「夕市」を開いた。それが、後に常設の特産品売り場に発展した。
 今、海士町の管理職の過半数は青年団の出身だ。「わけわからんことを唱える団長がおって、大ざっぱだけどおもろい発想をする人がいて、浜見さんのような調整役がおった。今も役割分担は変わらん。『みんなで楽しいことをやりたい』って思いは今も昔も一緒です」と青山さんは話す。
 山内道雄町長(72)自身、63〜66年にかけて青年団長を務めた。県内の青年団のリーダー250人を招いて交流キャンプを催した。本土の若者が大挙して来るのは「島はじまって以来」だった。穴を掘り板塀で囲ってトイレをつくり、50張のテントを建てた。最後の夜のキャンプファイアの感動は、今も忘れられないという。「故郷のために何かしようと努力した青年団は私の原点。20歳も違うけど青年団時代の思いを仕事に生かす課長たちとは、ぴったり気持ちが合うんですよ」


(つづく)



〈海士町(あまちょう)〉

島根半島の沖約60キロの隠岐・島前の中ノ島(面積33.5平方キロ)1島で1町を構成。1950年に6,986人だった人口は2010年10月1日現在2,430人。高齢化率は39%。平成の大合併では、島前2町村(西ノ島町と知夫村)と合併を協議したが単独町制を決断した。1998年から月給15万円で島外からの「商品開発研修生」を招き、「さざえカレー」や「ふくぎ(クロモジ)茶」などの地域資源を商品化してきた。イワガキやシロイカ、隠岐牛は首都圏にも売り出している。