Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.186/2013/07

第15回「たたらの里の暮らし考(15)」


山内道雄町長 隠岐人神社は後鳥羽天皇の隠岐の御陵のあった場所

山内道雄町長は、課長たちが給料削減を申し出た話をすると今も涙がこみあげるという

隠岐人神社は、承久の乱によって隠岐へ配流された後鳥羽天皇の隠岐の御陵「御火葬塚」のあった場所とされ、紀元2600年の奉祝事業で島根県が1939年に建てた


 だが、学齢期の子を抱える家は将来が不安だ。10%減までは即決したが、それ以上は進まない。4回の会議を重ね、最終的に「20%」でまとまった。フェリーが発着する菱浦港近くの飲み屋に繰り出して町長を呼んだ。「おれはお前らには(給料カットを)求めていない!」と言ったまま町長は酔いつぶれた。
 翌朝、美濃さんは管理職全員を代表して町長室を訪ねた。「僕らもついていかせてください」。町長は目にいっぱいの涙を浮かべた。その後、町議会や一般職員も減額を申し出た。さらに翌05年度は、町長5割、議員4割、課長3割、係長以下22%に削減率は上積みされた。職員の平均は、国家公務員を100としたら72.4(月額平均24万7000円)で全国最低となった。
 もちろん、家族の反発は大きい。青山富寿生さん(45)は3割カットになった年に課長に昇進し、給料が激減した。「僕は給与明細なんて見たことないんだけど、嫁さんや母からは『課長になって給料下がっか』『子どもの教育はどうなるの』と怒られました」。「結婚しなければよかった」と妻に冗談めかして言われた課長もいた。
 役場が身を削ったことで、お年寄りからは「バス代を値上げしてもいいぞ」という声があがった。ゲートボールの補助金返上を申し出る動きも出てきた。役場だけでなく、島ぐるみで危機感を共有するようになった。
 給与カットや人員削減などで浮いた予算を、すべて赤字の穴埋めに使うのでは希望がない。一部は子育て支援や産業振興、定住対策など、後に海士の町おこしを全国に知らしめる独自の施策に充てた。「課長がカットを申し出たときは泣きましたよ。職員の思いは未来への先行投資だった。海士町の町興しの出発はそこからでした」。町長は振り返る。
 なぜ、生活の不安を抱えながら、海士町の課長たちは全員一致で給与の大幅削減という決断ができたのか。
 その背景には「青年団」の経験があったという。


(つづく)



〈海士町(あまちょう)〉

島根半島の沖約60キロの隠岐・島前の中ノ島(面積33.5平方キロ)1島で1町を構成。1950年に6,986人だった人口は2010年10月1日現在2,430人。高齢化率は39%。平成の大合併では、島前2町村(西ノ島町と知夫村)と合併を協議したが単独町制を決断した。1998年から月給15万円で島外からの「商品開発研修生」を招き、「さざえカレー」や「ふくぎ(クロモジ)茶」などの地域資源を商品化してきた。イワガキやシロイカ、隠岐牛は首都圏にも売り出している。