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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.184/2013/05

第13回「たたらの里の暮らし考(13)」


斐伊川沿いにある西日登小学校

斐伊川沿いにある西日登小学校は明治時代の開校以来、地域ぐるみで住民が支えてきた。

■日登村と加藤歓一郎(下) 地域自治(2010年5月取材)

 2004年に6町村合併で誕生した島根県雲南市は、公民館や小学校区単位で地域自主組織を設けることにした。旧日登村では、日登地区と西日登地区でそれぞれ自主組織を発足させた。
 日登地区の地域自主組織「日登の郷」は06年、地域新興計画をつくるため、15歳以上の全住民を対象にアンケートをした。そのなかで浮き彫りになった課題のひとつが、「葬儀」だった。
 日登では、大半の葬儀は近所の人の手を借りて自宅で営んでいる。家族が亡くなったその日から遺族は台所に入らず、近所の人が台所仕事を担う。葬儀が終わるとお礼の会を開き、喪主夫妻や親族代表が礼を述べながら酒をついでまわる。「友引」にあたると葬儀終了まで4日間かかることもあった。
 高齢化が進み、勤めに出る女性が増えるなか、これでは負担が重すぎる。だが自治会内では、自分の家がかつて世話になった手前、「大変だからやめましょう」とは言い出しにくい。「葬儀改善」を口にするのはタブーになっていた。
 そこで、地域のみんなで別れを告げる自宅葬の良さを活かしながら、負担を軽減する方法を考えることにした。昨年、各地区の葬儀を調査し、標準的な手順をA4判12ページの「自治会葬儀マニュアルの例」にまとめた。全21自治会に配布し、「話し合って持続可能な形に改善してください」と呼びかけると、「台所仕事の肩代わりは葬儀当日だけに」「終了後の慰労会は遺族の家ではなく集会所で開き、喪主さんにだけお礼を述べてもらう」「友引でも葬儀をする」……といった案が出てきた。
 「日登の郷」の本田宏会長(66)は「自主組織の呼びかけが、タブーを克服して自治会が動くきっかけになった。一度話し合ってマニュアルをつくれば、今後も実情に合わせて改善していけます」と話す。本田さんら「日登の郷」の中心メンバーは、加藤歓一郎の教え子だ。かつて「結婚純化運動」でタブーに挑んだ加藤の弟子たちは今、葬儀のタブーを乗り越えようとしている。

 西日登地区の地域自主組織「西日登振興会」の細木訓(さとし)理事長(69)も、日登中学のOBだ。森林組合勤務などを経て1963年、合併直後の木次町役場に就職する。職場の先輩には旧日登村出身で、加藤の主催する青年学級に通った故田中豊繁らがいた。田中らの世代の日登出身の職員はその後、役場の要職を占めるようになり、有機農業など「健康」に焦点をあてた町政を展開し全国的に注目された。田中は、89年から木次町がなくなる04年まで町長を務めた。
 細木さんは役場を退職後、04年から地元・西日登の地域計画づくりにかかわる。
 同地区は昔から教育熱心だった。明治時代の当初の小学校は民家や寺で間借りしていたが、現在の日登地区に統合する方針が示された。
西日登の住民はそれに反対し、「西日登に独立学校を」と訴えた。その結果、1886(明治19)年に現在の西日登小学校は開校した。当時の青年団が学校の裏の公園を開墾し、子どもの学業と心身の成長を願って、菅原道真誕生の地とされる宍道町(松江市)の菅原天満宮からご神体をわけてもらって天満宮をまつった。