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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.183/2013/04

第12回「たたらの里の暮らし考(12)」


伏せた形の狛犬は出雲独特だ 親に勘当された経験をもつ井上静子さん

島根県の出雲地区は寺より神社が力をもっている。伏せた形の狛犬は出雲独特だ。信心深さが、ときに迷信を生み出す土壌になってしまうことも。

「狐もち」のうわさがある家に20歳で嫁ぎ、親に勘当された経験をもつ井上静子さん


 結婚にはさらに深刻な問題があった。
 戦前の山陰は東北地方と並んで小作料が高く農民は貧しかった。そんな中、にわか成金で成功した家を「あの家は狐もちだ」などと差別する風習があった。迷信のせいで結婚が破綻し、自殺する若者もいた。
 仁多町(奥出雲町)出身の井上静子さん(1940年生まれ)はクリスチャンである加藤の主催する聖書研究会に通い、加藤の教え子と見合いをした。両親が相手の家を調べると「狐もち」の噂があった。「妹2人を嫁がせるとき、必ず調べられる。純粋な家系がにごると言われるけん、嫁にはやらん」と父は反対した。
 仲間の説得を受けて「私がいくことで井上家が少しでも迷信に耐えて繁栄するならそれも私の使命かもしれない」と結婚を決意すると、実家から勘当された。1961年、20歳の井上さんは普段着をつめた柳行李ひとつを手に木次駅に降り、パーマをあて髪飾りをつけて純化同盟の式に臨んだ。
 結婚後も着の身着のままで嫁いだから風当たりは厳しい。田を耕し肉牛を飼い、朝5時前から深夜11時まで働きづめ。嫁には小遣いがないから、家の周囲のわずかな畑でとれた野菜を売って稼いだ。
 こうした農家の嫁たちの小遣い稼ぎの努力が後に、組合員120人を擁する「野菜出荷組合」に発展し、井上さんらが作った旧木次町の学校給食野菜生産グループは1999年、農林水産大臣と文部大臣に表彰された。
 5年ほど前、政府の食育関係の委員会に出席した帰途、井上さんは羽田空港の売店で「東京ばな奈」を買って若い女性店員に代金を差し出した。女性は突然、井上さんの手を両手で包んだ。「お客さん、すばらしい働き手ですね」と言った。ゴツゴツの太い指、コンニャクの灰汁で真っ黒になった爪。恥ずかしくて手を引っ込めると「私も農家の出身です。誇りに思ってがんばってください」と商品を手渡してくれた。飛行機が離陸するとき「神様が元気づけてくれたんだ」と井上さんは思った。
 「つらい日々がつづいたけど、加藤先生の教えとすばらしい先輩や仲間のおかげでがんばってこられた。すべての苦労が今の自分の糧になったと思っています」

(続く)