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Vol.182/2013/03
第11回「たたらの里の暮らし考(11)」
菜の花を育てる陶山直利さん。1カ月後には菜種の油を搾る。前年は一升瓶20本分の自家製油ができたという。
■日登村と加藤歓一郎(上) 産業教育と生活綴り方(2010年5月取材)
1947年春、新制中学として発足した日登村寺領(島根県雲南市)の日登中学に、阿井村(現奥出雲町)の青年学校長だった42歳の加藤歓一郎が初代校長として赴任した。学校の近所に住む陶山直利さん(1935年生まれ)が入学した年だった。
加藤は髪をオールバックにして、声が大きく、眼光が鋭い。「にらみつけられると蛇の前のカエルのような気分だった」と陶山さんは振り返る。
当時、英語は選択制で、学級ごとに受講の是非を決めていた。勉強嫌いの陶山さんらは口裏を合わせて多数決で英語を拒否した。それを聞いた加藤は激怒した。
「おまえらなに考えちょーかっ。民主主義のはき違えだ。少数の意見を大事にしないのはいかん!」
一方、底抜けにやさしい一面もあった。学校に米の弁当を持ってこられない子は、昼休みになると「腹が痛い」と言って教室を出て木陰で休んだ。それを見た加藤は自ら芋と梅干しだけの弁当にして、「弁当なんてあるもんでええ。校長先生でもこげな弁当だけんなあ」と言った。
加藤は、「働く喜び」を教えるため、農業を中心とした「産業教育」に力を入れる。
「農場当番」を設け、放課後、裏の赤土の山を開墾して田畑を作る。4キロ離れた木次の街からリヤカーで残飯を運んできて豚の餌にする。「将来カネになるけんな」とスギを植林する。家畜に餌をやるため、男子生徒2人と教師が毎日学校に泊まり込んだ。
中学は地域に新しい知恵をもたらす窓口でもあった。鯉の卵を購入し中学生が孵化させ、実習田で除草効果を試したうえで周囲の農家に普及させた。当時は塩辛い漬け物しかなかったが、中学教師が食塩を減らした甘みがある沢庵を考案して広めた。
「生活綴り方」も重視した。貧しさや家庭での悩みを赤裸々に綴ることで問題解決につなげる取り組みは「家の恥部をさらすな」という反発もあったが、地域や家庭の民主化にもつながっていく。
ある家では、山からひいた水を貯める水船が台所の中心にあり、家事をするのが不便だった。弱い嫁の立場では「端っこに移して」とは言えない。嫁である母の不満を知った娘が作文に書き、姑がそれを読んで改善したことがあった。