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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.181/2013/02

第10回「たたらの里の暮らし考(10)」


三沢小水力発電所

川沿いの山小屋のような建物が、三沢小水力発電所。

 中国山地には、かつて農業用水などを利用する小型水力発電所が数百カ所もあった。電力会社の送電網が広がって大半は閉鎖されたが、今も島根県奥出雲町(仁多町と横田町が合併し2005年に誕生)には、住民が管理する発電所がある。東日本大震災の被災地では、送電線が倒壊し灯油も届かなかった。半世紀前に先人が建設したミニ発電所を運営する住民は、自然エネルギーの大切さを実感しているという。

 奥出雲町三沢地区、満開の桜が彩る谷沿いに三角屋根の山小屋のような小屋がある。三沢小水力発電所(同町河内、出力90キロワット)は、砂防ダムの水を引き、民家ほどの建物にある発電機で、約100世帯分の電力を供給しているという。
 1954年ごろには、地区内333戸のうち43戸に電灯がなく、電気が通っている家でも電圧が低く、脱穀機のモーターを動かすと、風に吹かれたロウソクのように裸電球は消えた。未点灯世帯をなくし産業振興を図るため、村役場や農協が中心になって事業を進め、57年に発電所を完成させた。
 電気が通っていないムラが多かった昭和20年代、農協などが発電用の水利権をとって発電に取り組む動きが全国各地で生まれた。52(昭和27)年に施行された農山漁村電気導入促進法がそれらを後押しした。だが、全国9電力会社の配電網が農山村をカバーするようになると次第に数を減らした。
 三沢小水力発電所は、現在はJA雲南が施設を所有し、旧三沢村(1955年、5町村合併で仁多町に)の10自治会から選ばれた運営委員が年間500万円で管理業務を委託されている。この委託料で管理人2人の人件費をまかない、地区の「産業文化祭」の運営費30万円を寄付し、小学校の備品購入や産業振興にも役立ててきた。これまでに計1,600万円を地域に還元した。
 維持管理は、電力会社OBの住民が助言し、常駐の管理人が見回って水路の落ち葉などを掃除している。
「三沢地区は、旧仁多町でもとくに住民のまとまりがあり、まじめな人が多いから、半世紀以上も運転してこられた」。元役場職員で発電所の運営委員長をつとめる森山富夫さん(63)は話す。三沢地区の1人当たりの預金残高は旧仁多町内で1番多く、貸付残高は一番少なかったという。
 ただ、現在の発電機が壊れたら機器を更新するのは難しい。物価上昇で労働者の平均賃金が半世紀で約20倍になる中、中国電力による電力の買い取り価格は、当初の1キロワット時3円50銭が74年まで据え置かれ、その後多少上昇したとはいえ8円(半世紀で2.3倍)にしかなっていないからだ。