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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.179/2012/12

第8回「たたらの里の暮らし考(8)」


平家の落人伝説が開いたと伝えられる程原集落の集会所 谷小学校の校歌を歌うかつての小学生たち

谷間に水田が広がる稗原の集落。

小学校と幼稚園、コミュニティーセンターが入った複合施設「稗原コミュニティスクール」。かつての村役場のような役割を果たしている。


 稗原地区中心部の市森神社の先代宮司で、開業医だった故古瀬一夫さん(古瀬倶之医師の父)は稗原では「天皇」と称された。地区内の11自治会を束ねる自治協会長や社会福祉協議会長、体育協会長などを兼務し、幼稚園から中学まで一体化した「稗原校PTA」の会長も18年間つとめた。
 稗原の自治協会事務局長をつとめる白根重雄さん(52)は子どものころ、「PTA会長」とは一夫さんの別名だと思い込んでいた。会長辞任後は顧問に就任し、ずっと後に白根さんが会長をつとめた時代にも「顧問」の予定に合わせて総会などの日程を決めた。
 戦前の稗原では、3人の大地主が村の「親方」として君臨した。戦後は、衛生思想の普及や台所改善に尽力した一夫さんが指導者となった。出雲市への編入合併(1955年)の際は、一夫さんが「地域がまとまらんといけん」と呼びかけて自治協会を結成した。
 73年の干ばつ後、簡易水道整備の音頭を取ったのも一夫さんだった。「井戸があるから、使用料払ってまで水道なんかいらん」と反発する人々を、「今やっとかんと将来絶対だめになる」と説き伏せた。実際、その後の日照りで井戸や沢が枯れ、水道がありがたがられたという。
 有力政治家とも懇意だから、小学校のプールや道路などの建設も進んだ。「古瀬さんが直接市長に直談判するから、地元出身の市議は影が薄かった」(白根さん)

 出雲市全体では自治会加入率は徐々に減り、現在70.8%だが一夫さんらが作った稗原自治協会は今も全戸加入を誇る。コミュニティーセンター(旧公民館)に事務局を置き、土木工事から災害復旧、福祉といった課題にかつての村役場のように取り組む。盆踊りで1軒500円の協賛金を募れば、税金を納めるようにほぼ全世帯が支払う。
 だが、今は一夫さんのような「親方」はいない。自治協会の担い手の高齢化も進む。高齢層が主導権を握る自治協会などの組織を「旧体制」と感じる若者もいるという。
 紳士服の行商のかたわら、長年青少年の育成活動にかかわり、04年にコミュニティセンター長に就任した名原正昭さん(68)は、絶対的リーダーに長年頼ってきたことによる自主性の弱さが気になった。住民参加を進め、住民一人ひとりに「自分たちが主役」と思ってもらうため、秋の文化祭では11自治会に一つずつテントを貸し出し、そば打ちや金魚すくいなど、好きなことを企画してもらった。その結果、参加者が急増した。
 09年の夏の盆踊りでは、「どうなるかわからんが若い人に任せてみたい」と提案した。「あてにならんようなものにカネ使うて」という反発もあったが、「長い目で投資するつもりでやらせてくれ」と頼んだ。
 今年8月の盆踊り後、実行委員に参加した若者の1人が「秋の文化祭はいつかね?」と尋ねてきた。そして「テント一つつくってやってみたいけん」と申し出た。
 若い力の芽生えが名原さんはうれしかったという。

(続く)