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Vol.177/2012/10
第6回「たたらの里の暮らし考(6)」
平家の落人伝説が開いたと伝えられる
程原集落の集会所
谷小学校の校歌を歌うかつての小学生たち
程原集落で自家用車を持っているのは、8軒中3軒だけだ。町営バスが週1回運行していたが、09年3月に廃止される。かわりに町役場は、ボランティアで「足」を確保する県の「自治会等輸送活動支援モデル事業」の導入を「谷自治振興会」に提案した。
町がワゴン車を購入して「自治振興会」に無償貸与する。自宅から谷地区の中心にある診療所や、約8キロ離れた町役場赤名庁舎まで、燃料代実費200円で利用できるようにした。運転手は11人の登録ボランティアがつとめる。
事業は09年8月にはじまり、10年3月までに延べ308人が利用した。年間160人程度という当初予想を大幅に上回った。
運転手は無償奉仕だから協力者を募るのは難しい。それでも事業に踏み切れた背景には土地柄があるという。「石見銀山の銀を運ぶ道だったから日銭稼ぎがあって、極端に貧しい人がおらず格差も小さかった。仲間意識が強く、昔から助け合いをする空気がありました」と沢田定成・自治振興会長(58)。
沢田さんの父の世代は青年団運動が盛んで、仲間の竹下登を政界に押しだしている。63年の豪雪で一気に人口が減った際、この世代が中心になって「過疎対策委員会」を結成する。テレビが映らない難視聴状態を解消するため、中古電柱を買い集め、山上のアンテナから集落まで住民の手で電柱を立てた。20歳代で参加した沢田さんは「高度成長で都会は豊かになって、このままじゃ取り残されるって、オヤジたちは危機感をもったんでしょうねぇ」と振り返る。
「過疎対策委員会」は、81年に「谷振興会」となり、県道の拡幅に乗り出す。県や町役場、政治家に働きかけ、土地買収では振興会が事前に地主の了承を取り付け、2車線の道路が整備された。05年に赤来町と頓原町が合併するにあたって、新町に14自治区を設けることになった。合併に先立つ04年、谷地区では「振興会」を「自治振興会」に改組した。そこで取り組んだのが前述の輸送事業だった。
129年の歴史を誇る谷小学校は、05年に閉校となった。2階建て木造校舎は天井や壁が朽ちかけていた。取り壊しを検討していたが、国の補助金がついて約8,000万円かけて改修した。今後は農産物の直販や加工品づくりなど、地域振興の拠点にしたいという。
2010年4月、交流施設として生まれ変わった「谷笑楽校」の開校式があり、卒業生約60人が校歌を斉唱した。「たくましく伸びるよ谷の小学生……♪」。白髪の「小学生」は、はにかみながら声を張り上げていた。
(続く)