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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満
Vol.175/2012/8

第4回「たたらの里の暮らし考(4)」


白菜や大根を収穫する井上静子さん

雪のなかで育った甘みたっぷりの白菜や大根を収穫する井上静子さん。

 島根県雲南市周辺は、全国でも注目を集める農産物直売の先進地だ。17の農産物直売所がネットワークを結び、2008年度の直売所の売り上げは、都市の市場経由の野菜販売額をついに上回った。定年をむかえた元会社員も「農」に目覚め、「菜園」を舞台に地域の絆がはぐくまれつつある。

 中山間地の希望の星となっている雲南市の「農産物直売所」は四半世紀前、農家の嫁の小遣い稼ぎから始まった。
 雲南市木次町の山間の集落に住む井上静子さんは、1940年に仁多町(今は奥出雲町)に生まれた。病弱だった母を助け、小学校3年生から囲炉裏でみそ汁や煮物を作ってきた。「1年間、洋裁学校に行かせてやるけん、頼むけん、高校はこらえてごせ」と言われ、7人兄弟で1人だけ高校に進学せず、家事と農作業をこなしてきた。1961年、20歳で木次町の農家に嫁いだ。だが63(昭和38)年の豪雪で、冬場の炭焼きができなくなったのを機に、農家の男は勤めに出るようになり、周囲は「母ちゃん農業」だらけになる。井上さんの夫も農機具会社の営業マンになった。年老いた義父母とともに7.5反(75アール)の田を耕し、肉牛を飼い、朝5時前から午後11時ごろまで働き詰めだった。
 当時、農家の嫁が自分の裁量で耕せたのは、家の周囲のわずかな自給用の畑だけ。腹が立つと畑に出て、鍬の先が欠けるほど力をこめて耕した。
 近所の女性たちと「野菜グループ」をつくり、野菜を青果市場に売って30円、50円という小遣いを稼いだ。だが、無農薬で形も大きさも不揃いだから、農協経由で大量に出荷するのに比べて3分の1の値段で買いたたかれる。青果市場経由ではない販路をつくるため、近所の女性とともに、軽トラックで木次町の中心街の家を一軒一軒訪ねて売り歩いた。はじめはドアをノックするのも恐くて躊躇したが、荷台に山積みになった仲間が育てた野菜を見ては勇気を奮った。そのうち、評判を聞いて、近所の人が集まり、筍やゼンマイの塩漬けなどの加工品も売れるようになった。
 85年には旧木次町内の農家の女性が集まって「野菜出荷組合」を結成。農協の店舗前に建てたテントで週1回、「青空市」を開きはじめる。今は、農協の店舗内に直売コーナーを設けている。出荷組合の組合員は120人になった。