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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満
Vol.174/2012/7

第3回「たたらの里の暮らし考(3)」


木村晴貞さん 「日本たまごかけごはんシンポジウム」

旧吉田村の有機農業や農業振興を引っ張ってきた木村晴貞さん。

毎年旧吉田村で開かれる「日本たまごかけごはんシンポジウム」。鶏卵と卵かけ専用しょうゆをメーカーが提供し、卵かけご飯が無料で振る舞われる。


 全国の三セクの大半は役所からの補助金を運営費の一部に充てているが、「ふるさと村」は独立採算だ。社員の給料は最低賃金ぎりぎり。いきなりヒット商品は生みだせないから、木村さんのシイタケを「ふるさと村」の事業に移管した。それでも1年目320万円、2年目190万円の赤字となり、夜も眠れぬ日々がつづいた。3年目、ようやく黒字に転じた。
 経営は徐々に軌道に乗り、地元野菜を使った焼き肉のたれや、卵かけごはん専用醤油「おたまはん」などのヒット商品が生まれる。今や60人余が働く旧吉田村で最大の雇用の場になった。
 ふるさと村ができる前、「活性化」といえば「企業誘致」だった。村は文具メーカーや縫製工場を誘致したが、その多くはすでに閉鎖された。「企業を誘致すると農林業に携わる人が流れてしまう。農林業の振興には、農林産物を加工・販売する必要があります。それが本当の地場産業だと思います」と木村さんは言う。

 農家の経営が成り立つ値段で原料の野菜を仕入れるから、「ふるさと村」の商品は安くない。付加価値を付けて売り上げを伸ばそうと、木村さんは有機農業への転換を農家に働きかけた。だが、「農薬を使わんと虫に食われる」などと色よい返事は得られない。広めるには自ら手がけるしかないと決意し、「ふるさと村」を99年に退職して、有機農業をはじめた。経験ゼロで指導者もいない。失敗を繰り返して栽培法や土作りを学んだ。
 自ら所有する農地は7反(約70アール)だが、高齢化で耕作をやめた人の田を請け負い、水田4町(約4ヘクタール)と畑1町で作っている。田は農薬などの使用を通常の3〜4割に抑え、畑は化学肥料や農薬をいっさい使わない。消費者の体験イベントにも力をいれている。
 農業だけでなく加工や販売を手がけ、「安心安全」で付加価値を高め、消費者と交流する。1次(農業)と2次(加工)と3次(販売)産業の要素を組み合わせた、いわゆる「6次産業化」によってムラと農業の生き残りをはかってきた。
 そんな努力の前に立ちはだかったのが、環太平洋経済連携協定(TPP)だ。

 小規模な兼業農家は、農業の赤字を勤め先の給料で補填している。木村さんのような大規模な専業農家では、関税撤廃で米価が下落すれば、面積あたりの赤字はわずかでも巨額の負担となる。「先祖代々の田を荒らしてはいけん、と(耕作放棄地を)引き受けてきたが、不安ばかりでは前進する気力もなえてしまう。多少の自由化はしかたないとしても、農家の不安をぬぐう施策を打ち出してほしい」。

(続く)