Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

 

あなたの言いたいこと

Vol.232/2017/5

今号は、「オーストラリアで気付いたこと」についての投稿です。


「思いやりと自己中心」


 パースに来て6ヶ月が経ちました。オージーは、フレンドリーで親切というのは、肌で感じました。ただ、思いやりはあるんでしょうけど、何かが違うなとも感じました。

 この間、友達の車に乗って、住宅街の路上駐車している車を縫って運転していた時のことです。向こうからも車が来て、道の譲り合いみたいになったんです。最初、向こうの車が停まってくれたんですが、その停まってくれたところが微妙で。結局、こっちが止まって向こうの車が最初に抜けていきました。さすがに、笑いました。「停まるとこっ、そこ?」って思いました。たぶん、日本みたいなあの込み入った道路事情を知らないだろうし、道をどうやって譲るのか慣れていないオージーだったのかもしれませんが、それよりも「俺=己」みたいなのをすごく感じました。譲る=思いやりと、自分が抜ける=自己中心、とのバランスがまだとれていなんだろうなと思いました。

 同じ日、別の友達とカフェに行きました。後から知ったんですが、閉店30分前の入店でした。店員は気さくで、ニコニコしながら注文を聞いてくれました。席に着き、待つことほんの数分で2つのフラット・ホワイトが運ばれてきました。そして、後から入って来て、俺たちの隣に座ったお客さんには紙コップでコーヒーが運ばれてきました。テイクアウェイで頼んだんだろうなと思っていたら、更にその後から入店した奥のお客さんにも紙コップで。あれ、と思っていたら、あのニコニコの店員が俺たちの陶器のカップを引き取りにきたんです。座って10分も立たないうちにです。笑いました。陶器だから洗わなければならないし、閉店時間にしっかり閉めて、その後の自分の時間を大切にすることの方が優先されているんでしょうね。閉店時間過ぎているのに来客を笑顔で受け入れている日本のサービスは、自己犠牲のサービスか?って思ってしまいました。

 結局は、この国の人は“自分”なんだなと思いました。フレンドリーで親切、思いやりがあって、とはみんな言いますが、でも移民の国。その優しさは、実のところ自分に返ってくるためのマナーみないなものなんだと気づきました。そう考えると、なんか、みんな芯がしっかりしているなぁ、とも思いました。


<投稿者>匿名希望 29歳 男性