Vol.212/2015/09
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パースにワーホリで行くことを決め、パースのマップを探していたら、ネットでパースエクスプレスのマップを見つけました。ついでに、このコーナーに行き当たりました。いろいろな投稿が載っていて、パースに行くのがもっと楽しみになりました。
自分も昔、ここに投稿されている人と同じような悩みを抱えていたことがありました。その悩みを克服することができたので、新たな自分を見つけるためにパースに行きます。その過去をパース行きの自分への記念にここでちょっと書きます。
小学校の低学年の頃、親によく手を上げられていました。物心がつく前も殴られていたんだと思います。5年生の時、頬を叩かれ、左の耳の鼓膜が破れました。叩かれている理由は「自分が悪いから」と思っていました。成績が悪かったり、時間を守らなかったり、ご飯をちゃんと食べなかったり、とかです。高校は定時制に通いました。高校への進学は考えていませんでしたが、親が無理やり申し込みました。人と話すことが面倒で、高校の時はパソコンと向き合う時間が1日のほとんどでした。最初の頃は、親に文句ばかり言われていましたが、途中であきらめたのか、何も言わなくなって、それからは必要のない事以外は会話がなくなりました。
高校をやっと卒業し、その後は家にひきこもりました。ネットの中の2次元の世界に没頭しました。ここで一生、生きていこうとまで思っていました。そんな時、一枚のコスプレの写真と出会いました。その写真は本物と限りなく近く、髪の毛や目の色までそっくりでした。なぜかその写真の本人と話がしたくなり、探し求めて、それからその写真本人とチャットやメールで連絡を取るようになりました。
その人は、オーストラリア人でパースに住んでいる人でした。顔かたちや目鼻立ちまで本物のアニメのキャラクターにそっくりだったので、本物と話せるんだったら多少の言葉の問題も気にせず、とにかく夢中でコンタクトを取り続けました。それと、その人がとても日本のアニメに興味があったので、その世界で生きている自分自身に興味を持ってくれたのもよかったです。
人との会話が嫌いな自分にとって、英語での会話は言葉を使っていないみたいで、相手も2次元の宇宙人みたいだったし、めちゃくちゃな英語でしたが、その時は会話することが嫌とか思わなかったです。そんなやり取りが続いて、自分の中で何かが徐々に変わっていくのを感じました。そして、そのオーストラリア人から、「Come to see me !」という誘いを受け、その変化がはっきりしました。来年で30歳になります。これも、何かのきっかけだと思っています。
もちろん、不安もあります。実際にそのオーストラリア人とはチャットでは調子が良いんですが、顔を見ながらのスカイプだと、どうしても伏目がちになります。でも、今は誰かが背中を押してくれているような気がしています。そして、将来、親が私にしたことを今度は、そのオーストラリア人と一緒に自分が親の立場で理解できる日が来るといいな、と思っています。
<投稿者>ピロ 29歳 男性
パースはもうすぐ春ですね。もし、この投稿が掲載されたとしたら、その頃はワイルドフラワーも咲いているんでしょう。
今朝、食事中に嫁が息子におかずを取ってあげようとしたら、息子もそのおかずを箸で受け取ろうとしました。嫁が「箸と箸で食べ物を渡し合いしたらダメでしょう」と言い聞かし、息子も「そうだった…」と思い出すように言っていました。
オーストラリアから帰国して、半年が経ちますが、7歳の息子とはオーストラリアでこんなやり取りもありました。引っ越したばかりの時、「そっちは北だから、ベットはこっち向きだろう」といった嫁との会話に、息子が「なんで?」と。他にも週末、嫁と一緒に洗濯物の取り込みを手伝った息子が、取り込んだばかりの上着を着ようとした時、「一度、畳んでからでしょ」といったこともありました。その時も息子は、眉間にしわを寄せ、「なんで?」と嫁に聞いていました。
これらは“縁起が悪い”からだと、私も嫁もそれぞれの両親や祖父母から教わったものでしたが、「納骨の時の箸の受け渡し」や、「シワのない畳まれていない着物を死人に着せる」とか、「死者は北枕で葬る」といったどれも『死』に関することだったので、その時はまだ息子にはそのような理由を説明しなかったと記憶しています。もうそろそろ、いいかなと思っていますが…。
これらの言い伝えは日本由来のもので、オーストラリアにはないものだと思います。言うなら、宗教(神道?)みたいなものなのかと思います。ただ、その言い伝えは、自分で体験したことでもない、むしろ息子にとっては理由のない“きまり”“しばり”のようなものだったかもしれませんが、息子に言い聞かしている私(嫁もだと思いますが…)にとって、オーストラリアにいる時は、なぜか心地良かったです。日本に帰ってきて、こちらの生活にもう馴染んでしまい、日本ではオーストラリアに比べて宗教観が薄いので、さらに当時のことが思い出されました。
今朝の出来事であの頃のことが懐かしくなり、メールをします。オーストラリアにいる頃は、パースエクスプレスにお世話になりました。このコーナーも欠かさず読んでいました。同僚から本誌がパース唯一のメディアになってしまったと聞いています。ぜひ、頑張ってください!私は、これからもインターネットで毎月、楽しんで読ませていただきます。
<投稿者>川上 38歳 男性