Vol.212/2015/09
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パースに4年ほど住み、今は日本に戻ってきています。妊娠が分かる前に夫がパースへの転勤が決まり、引越しの準備を進めていた矢先でした。その後、妊婦としてパースで過ごし、出産は日本でしたが、子育てはパースでした。そして、子どもが3歳半の時に日本に帰国しました。
先日、インターネットで「路線バスの車内で手足をばたつかせ、泣きやまない乳児にあせり、困った母親に運転手が『お母さん、大丈夫ですよ。赤ちゃんですから気になさらないでください。きっと眠いか、おなかすいているか、おむつが気持ち悪いか、暑いかといったところでしょうか』と車内アナウンスを流した」というニュースが出ていました。この話がネットに投稿され、拡散して、運転手さんが称賛されているようです。
まず、このニュースを見た時、最初にパースでの生活のことを思い出しました。こんなニュースが話題になる日本は、正直、どこかずれていると思ったからです。確かに、運転手さんの対応は立派だったと思います。ただ、裏返すと、子どもが泣いている状況を『迷惑をかけている』と感じ、一方、その状況を『迷惑だ』と感じる社会があるということです。
パースには、そんなことはありませんでした。バスや電車で子どもが泣いている状況で、周りの乗客が白い目で見たり、煙たがったり、親のしつけを疑問視するような環境ではありませんでした。もちろん、子どもの親も周りに『迷惑をかけている』といった感覚はなかったでしょう。私は、その環境が自然だと思います。赤ちゃんが、泣けない環境の方がどう考えても不自然です。
こんなことを言えば「日本とパースの人口も違がければ、密度も違う」という人もいるでしょう。「数が多く、密度も濃ければ、迷惑と感じる」という人もいるでしょう。「文化や習慣も違う」といったことを言う人もいるでしょう。でも、考えてみてください。赤ちゃんが泣いている泣き声は、何に迷惑をかけているのですか?例えば、「車内で仕事の電話をしていて、耳障りだ」とでも言うのでしょうか。電車やバス内で今の日本、マナーとして電話はできませんよね。では、何が問題なのでしょうか?睡眠の妨げ?うるさい?いらいらする?からですか。。。
全て受け取る側の気持ち次第ですよね。そんな世の中で育った子ども達は、かわいそうだと思います。泣けない社会で育った子ども達は、どこかゆがみを受けて、育ってしまいます。そんな環境の日本は、パース、オーストラリアでは大きく異なります。子をもつ親として、こんなニュースが話題になる日本のこれからが不安です。
<投稿者>匿名希望 33歳 女性
Kちゃん(日本にいる親友)に心配されています。私のオージーの旦那が働いていない、ということを…。けど、今の生活に満足している自分は、Kちゃんのその心配にスカイプで「ありがとう。でも、全然、大丈夫だから!」と答えています。
小学校3年生の時に両親が離婚しました。母は夜の仕事に行き、叔父さんの家でよく寝泊りしていました。中学に上がると、母に彼氏ができて、ひとりっきりの夜もありました。そして、高校生の時は、毎日、テーブルの上に1,000円札が1枚置かれ、そのお金で外食していました。その頃はもう自分にも彼氏ができて、母を追う想いも少しずつ減ってきていたと思います。
そんな10代の頃のことを思うと、旦那は働かずに家にいるけれど、娘と3人で過ごせる今の時間がとっても幸せなんです。
お金は大変です。失業手当のようなものと、子育て手当を政府からもらっています。時々、旦那が日雇いのような仕事をするので臨時収入もあるので、なんとかやっています。もちろん、外食もできないし、旅行も行けません。日本にはもう何年も帰っていません。このままでは車も買い換えられないし、家を買うなんて一生ないでしょう。
でも、今のこの生活で十分なんです。ずっと続いて欲しいと願っています。朝、目を覚ますと隣に娘がいて、その向こうで旦那が居て。お昼はみんなで手をつないで公園に散歩に出かけ、夕方には3人で夕食が食べられて。寝る時もみんな一緒。夜中に目を覚ましても、横には娘と旦那が居る。
心配してくれるKちゃんには感謝しています。ただ、あの10代の私を経験しなければ、心配するに違いません。今はただ、この幸せが少しでも続くことを望み、娘にも私が経験した10代にならないようにするだけです。
Kちゃん、口では上手く言えなかったから、パースエクスプレスを通してお伝えしました。いつも心配してくれて、ありがとう。
<投稿者>M 27歳 女性