Vol.219/2016/04
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v218の『そういう世代』に「人と人との関係こそ、人生の全て」という一文がありました。もっともだと思います。
しかし、よく言う“最近の若い者は”という言葉は使いたくないですが、まさにその“若い者たち”の人と人との関係が不十分で貧しく、身勝手で自己中心的なのは目に余ります。
シドニーで飲食の仕事をしています。アルバイトの“若い者”たちといつも一緒に仕事をしています。そんな生活が10年以上続いています。そこで、最近思うことは、彼ら“若い者”たちの語彙量です。とにかく、言葉の量が乏しすぎます。表現方法がいつも同じです。例えば、「チョー」とか「マジ」をつければそれで全て終わりです。そして、驚くことにスマホでは、絵文字やスタンプだけで彼らは会話をしています。20歳アルバイトの男の子のLINEを見せてもらいましたが、やり取りは全て絵文字やスタンプだけ。なので、かみ合っていないところもしばしばです。
言葉が乏しく、絵文字やスタンプの会話では正確な情報のやり取りはできません。でも、それでいいようなんです。なぜならば、他人にはそこまで興味がないからです。必然的に自己中心的にもなります。身勝手というのも、彼らの中ではそれがわがままだと思って身勝手になっているわけではないのです。言葉が不十分だからこそ、人との関係も不十分になってしまうのは自然の流れなのかもしれません。
人との関係がそこまでずさんになれば、v218の『そういう世代』にもあった「“親”と“子”」の関係にも影響してくるはずです。だから、最近、日本では親が子を虐待、なんていうニュースが頻繁に流れるのでしょう。
私たちが生活している社会は、人と人との関係で成り立っていると思います。その人と人との関係が築けない今の“若い者”たちは、ある意味、痛々しくも感じます。当然、インターネットやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が原因なのかもしれませんが、やはり、人(子)は人(親)から生まれ、人と共に成長する生き物だと思います。人との関係なくしては、人として成し得ないことを、今の“若い者”はもっと実感するべきだと思う、今日この頃です。
このパースエクスプレス、久しぶりに読みました。懐かしかったです。自分がオーストラリアに来た時はもう世に出ていましたが、200冊以上も続けているのには脱帽です。これからも頑張ってください。お店の従業員がシドニーの旅行会社からもらって来て、休憩室にあったので、手にとりました。
<投稿者>匿名希望 44歳 男性
競泳の北島康介選手、レースで負けた。インターネットで観た。リオのオリンピック出場は叶わなかった。現役を引退するのだろう。柔道の野村忠宏が引退した時も、涙がこぼれた。今回の北島選手も、涙か流れた。誰にでもその時は来るのだろうけど、やっぱり寂しい。レジェンドの一人が、またスポーツ界から去る。
北島選手といえば、「チョー気持ちいい」とか「何も言えねぇ」といった独特な言い回しでインタビューに答え、年配層からは“今の若者は”とある意味、呆れたようなコメントを出されたことでも注目された。でも、北島選手のテレビでのインタビューやドキュメンタリーを見ると、北島選手の言葉遣いは謙虚で、丁寧で、本当にすばらしい。選手として一流だったけど、人間でも超一流なんだろうなと思う。
「真剣勝負をさせて頂いた」
「皆さんが応援してくださった」
「まだできると思わせて頂いた」
自分と地元が同じ北島選手。2003年の世界選手権、金メダルの泳ぎを観て、息子に水泳を始めさせた。今回も息子には、北島選手の泳ぎをインターネットで見せた。目に焼き付けさせたかった。まさか自分がオーストラリアにいるときに、大好きな北島選手の現役の幕が閉じるとは。リオへ行ってほしかったけど、今はとにかく「お疲れ様でした」と、「有難うございました」と言いたい。
<投稿者>小日向 46歳 男性
第77回『そういう世代』の投稿者、藤井さんと同じ世代の自分です。
先日、祖父が入院しました。すでに高齢ですが、自分の両親がまだ面倒を見られているので、正直、自分にとっては今すぐといった切羽詰った状況ではありません。明日、荷物をまとめて帰国といった状況でもありません。ただ、自分の両親が順番的には次にそうなることが予想されます。両親は70歳代です。
藤井さんは自ら、両親の傍にいたいという意志で日本帰国を決意しましたが、おそらくご両親はまだご健在なのでしょう。この英断は見事だったと思います。何かあってからでは遅いからです。伝え、伝えられることができず、会話のできない両親と病院での対面は、確実に手遅れです。
自分もあの時には話せなかったけど、今なら話せるといったことがいっぱいあります。照れくさくてできなかったお礼とか、今でも思い出すと反省して、謝りたくなることや、今さらだけど言いそびれたお祝いの言葉とかです。いつか言える時が来る、とのんびり構えていたら、その時はもう通り過ぎてしまっているかもしれません。
先日、スカイプで両親と話をしている時、日本の甲子園の話題になり、父親が「お前のバッティング、もう一度見たかった。高校最後の大会ぐらい、応援しに行きたかった」とポツリ、言いました。企業戦士だった父親には当時、そんな時間はなかったと思います。ただ、そう思っていてくれたことを知って、胸が熱くなりました。子どもの教育は母親の役目で、父親はもしかしたら自分のことで精一杯だったのかもしれません。その精一杯が、子どもへは無関心といった誤った解釈に変わっていた時もあったかもしれません。もちろん、その精一杯のおかげで、家族が生活できたのです。ただ、“応援しに行きたかった”とあえて言葉に出して言ってもらったことで、いろいろなことが確信できました。
私もオーストラリアに来て、もう少しで20年になろうとしています。藤井さんの「そういう世代」の真っ只中にいます。今回のこの投稿は、自分に全て言い聞かせる内容にさせてもらいました。印刷されたものを読み返せば、自分にけじめがつけられると思ったからです。来年で自分も50歳になります。自分のために生きた49年間でした。ならば、50年目からは、誰かのために生きてもいいんじゃないかと思っています。
<投稿者>俊郎 49歳 男性