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あなたの言いたいこと

Vol.218/2016/03

今号の投稿は、日本からのものと日本へ帰国される方の投稿も含まれました。

「頭の悪い人」

 どこ見ているのか分からない人、困りますよねぇ。見ているところが違うから、会話も成立しないし…。 本人は、自分の彼氏だと思っているけど、彼は彼女のことを心から愛しているとは思えない。とにかく、彼女の見ているところは、いつもずれているから。

例えば。。。
彼:「今晩は遅くなるよ」
彼女:「私も、遅くなる!」
彼:「余り遅くまで、無理しないように」
彼女:「あの…、晩ご飯、作っておいてもらえる?」
だからっ!彼も遅くなるって言っているのに、ご飯を作っておいてくれ、ってどういうこと?あなたは仕事じゃなくて、遊んで、遅くなるんでしょ。彼も遊んで、遅くなるんだろうけど、そのリクエストはおかしいでしょう〜。

他にも。
彼:「最近、体調の悪い日が続くようになって…」
彼女:「そう。。。」
彼女:「仕事、変えようかなぁ」
彼女:「う〜ん。あっ!日本へのお土産、何がいいと思う?」
まず、彼氏の体調について不安じゃないの?仕事まで変えようとしているんだから、彼にとっては切実な話題だったと思うよ。なのに、全く相談にのらず。まぁ、百歩譲って、彼も日本に一緒に行くんだったらまだしも、自分だけの一時帰国なのに。その会話の流れ、おかしいでしょう〜。

 彼らの会話、いつもこんな感じ。

 えっと、この2人のこと、しばらく観察させてもらったけど、同じ空間にいて時間も共有しているのに、見ているところがぜーんぜん違う。それに、彼女の決定的なところは、思いやりが全くない。感じられない。要は、自分のことしか考えていない。「オージーは優しい」とか言っていたけど、何かを履き違えていると思う。正直、日本人女性の恥です。あーあ、悲しい人です、彼女は…。

 最後に、このコーナーについて、この彼女=シェアオーナーは「くだらない」とか「レベルが低い」、「低俗だ」とか言っているけど、本人は、毎月欠かさず読んでいます(笑)。そのオーナーに部屋を借りている(いた)私が、まさか投稿しているなんて、つゆとも知らず…。でも、最後まで読んで、「あれ、これ、私?!」と思ったんじゃないですか、あなた?!はい、私のシェアオーナー、あなたのことでしたー!

<投稿者>匿名希望 32歳 女性




「日本からっす!」

 パースにいる時は、このパースエクスプレスにはお世話になりました。特に、このコーナーは毎月、「うそ〜」「マジ?!」「わかるぅー」とシェアメイトと言いながら、楽しく読ませていただきました。

 この間、『パース同窓会』に参加してきました。場所は、東京某所某居酒屋(笑)。参加者中11人はワークングホリデーで、3人は学生でした。何人かは知らない人もいましたが、ほとんどはパースでの時間を共有した人たちでした。

 「最近、どう?」なんて近況話は、最初のたった5分、10分で、あとはパースでの思い出話で盛り上がりました。 ただ…、「パースの夏、暑かったよなー」「夜の街、死んでたな」「観光するとこ、どっかあったか?」「ルームシェア、もう、こりごり」「厨房、マジ汚かった」といった話ばかりで、途中で僕の頭の中には疑問符が駆け巡りました。“そんな思い出を作りにパースに行ったんじゃ、ないんじゃない?!”と思いながら、途中から会話に入れなくなってしまいました。

 心の中では、「お前ら、『パースの夏、最高!』『ビーチ、マジ、きれいだったな』『町並み、映画のセットのようだったよな』『シェアオーナー、本当に良い人だったー』『バイト先のウェイトレス、可愛かったな〜』といった風にならないか」と思って、話を聞いていました。場の空気を読む限り、そんなことは言えませんでしたが。

 で、よくよく考えてみると、みんな、バイトの日々に明け暮れ、パースで何をしたかって聞けば“仕事”の二文字しか返ってこない連中ばかりだから、止むを得ないのかもしれない。結局、彼らにとって、そこがパースじゃなくてもよかったし、オーストラリアじゃなくても良かったのかもしれない、と思います。どこでもよかったのかもしれない…。日本という環境から、一時的にも抜け出すことが必要な人たちだったんだなと思いました。

 その抜け出すのが期限付きでなければ、不安に感じる人たちだからこそ、今、こうして日本に帰ってきて、“あんなつまらない思い出話”で盛り上がれるんだろうな、とも思いました。でも、俺はそうじゃないと思います。久々に体験する帰りの満員電車の中で「なんでオーストラリア、パースでしかできないことを、みんなはしなかったんだろうか」と、酔いが回った頭で考えていたら、ウトウトして、乗り越しちゃいました(笑)。

<投稿者>Hiro 31歳 男性




「そういう世代」

日本に帰国します。 今年の5月でオーストラリアに来て、丸18年となります。長いようで、あっという間でした。友達や仕事場の同僚、仕事関係でお付き合いさせて頂いた方たちや、子どもの親御さんたち。オーストラリア人から私のように違う国から移民してきた人、同郷の日本人と、本当にいろいろな人たちと出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。お世話になりました。

帰国の理由は、両親が老いてきて、自分が彼らの近くに居なければ、というより居たいと思ったからです。もちろん、自分だけの意志だけでは、今回の帰国はできませんでした。まずは、妻に、子ども達、そして、日本の両親といった周り人たちが納得しなければ決定できませんでした。

妻は「あなたがそう決めるなら…。ただ、子ども達がどう言うか。友達と離れるのは嫌なはずよ」と。子ども達は「日本は楽しいから、いいよ!でも、ずっとは、イヤ。お友達とバイバイしたくないから」と。こんな調子の妻と子ども達には何とか説得し、帰国の方向に気持ちを向かせました。しかし、両親は「自分たちの人生を生きなさい」の一点張りでした。今でも、です。

どこの親もそうでしょうが、この18年、例えば、父親が体調を崩して入院した時も母親はひた隠し、母親が手を骨折しても父親がひた隠し、全てが事後報告でした。子どもには心配を掛けさせたくない、その思いからです。今回の件も「確かに有難い話だけど、あなたにも家族がある。私たちのこれからと、あなたたちのこれからの年月を考えてごらんなさい。どちらが大切かは考えるまでもないはず」と言い、「そちらに居なさい」と一歩も引きませんでした。結果的に両親からは“わかった、待っているよ”の言葉は今でも聞けずに、強行で帰国することを決めたのですが、その強行は一点の曇りのない思いが私を突き上げたからでした。

上手くは言えませんが、その思いとは、「今、帰国して両親の側にいなければ、一生後悔する」といった思いです。理屈抜きの直感です。なので、妻にも子ども達にも最終的には折れてもらった感は否めませんでしたが、どうしても“今”しか考えられなかったのです。

この18年、人とのつながりで本当にいろいろなことに助けてもらいました。人と人との関係こそ、人生の全てと言っても過言ではないと思っています。そのつながりの最小単位は、まさに“親”と“子”です。だからこそ、今、帰国しなければならないと思っています。海外にいる人で私のようなことを思っている同世代の日本人は、少なくないと思います。この投稿が参考になれば幸いです。

<投稿者>藤井 45歳 男性