Vol.215/2015/12
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なんでオーストラリアに来たのかな、と考えていた。日本のアルバイト先の仕事がつまらなくて、そんな時、ワーホリのことを知って、何となくオーストラリアに来た。だけど、ファームの仕事も意味がなく感じたし、今のレストランのキッチンハンドの仕事もオーストラリアじゃなくてもできる。
どこかで期待していた「オーストラリアで自分を変えよう」も、結局は無理。変えられない。日本でも人と話すことが面倒だったけど、こっちに来れば言葉が変わるし、もしかしたら話すようになるかもと思ったけど、変わらなかった。言葉ができないから、もっと話したくなくなった。
毎日が淡々と過ぎていく。だからといって、今、日本に帰っても、日本にいた頃の生活に戻るだけだと思う。どうしたらいいのか、分からなかった。そんなことを思い続けていたとき、バイト先に新しいシェフが入った。そのシェフは、ロンドンで生まれて小学生の時に日本に戻り、中学はアメリカで、その後また日本に戻って…。社会人になってからは、世界を転々としたようだ。今回のオーストラリアは数十カ国目だと言っていた。最初は父親の仕事の関係でロンドンだったが、日本に戻って両親が離婚し、理由はわからないが、その後は祖母に育てられたと言っていた。
同じ頃、バイトで入った十代の新人ウェイトレスが「何でそんなに英語が話せるの?」とそのシェフに聞いていた。横にいた俺は、ただ黙ってふたりの会話を聞いていた。そして、休憩時間が終わろうとした時、ポツリと「天涯孤独」と言ったそのシェフの横顔がすごく悲しそうだった。
そのシェフと一緒に仕事をするようになって、徐々に何で自分は悩んでいたのか、と思うようになった。よくよく考えてみると、単純に甘えていた自分がいただけだということを知った。身を置ける場所がある、ということに感謝して、今は毎日を過ごしている。あのシェフの横顔はこれから先、当分、忘れないと思う。
<投稿者>Hisa 31歳 男性
私の娘がオーストラリアにいる日本人に嫁ぎ、子どもがひとりいます。孫がとにかく可愛くて、可愛くて、年に一回は主人を日本に残してその孫に会いに、オーストラリアに来ます。
先日、その孫の小学校で朝会があり、親御さんたちも参列できるというので、娘と孫についていきました。日本の小学校の朝会を想像していましたが、雰囲気は全く違うものでした。娘に孫がどこにいるかを教わり、つま先立ちで周りを見渡していると、国歌斉唱が始まりました。そこで、本当にドキッとした光景を目にしたのです。
神妙な面持ちで正面を見据える娘の先に大きな口を開けて、元気いっぱいにその“オーストラリア”の国歌を歌っている孫がいたのです。日本人の両親から生まれた、日本で育った男女がオーストラリアに移住して産んだ子どもが、オーストラリアの国歌を誇らしげに歌っている姿は、心を揺さぶりました。何故だかわかりませんが、涙もでてきたのです。
国歌斉唱が終わり、つま先立ちをしていたことを忘れていた私は、かかとを地面に着けたとき、どっと力が抜け、その場に座り込んでしまいました。
今回、投稿させていただいた理由の一つに、大きな時代の流れを感じたからです。世界は、本当に広いと思いました。日本の島国で「君が代」だけしか歌わない人生もありますが、生きている中で複数の国歌を歌う人生もあると思います。世界を知って、そして自分の生まれた国を改めて考える、そんな人生スタイルは、今後は当たり前になるのではないでしょうか。
追伸: 日本で主人と学習塾を開いています。生徒さんたちにこの私の思いも届けばと思ったのが、投稿の2つ目の理由でした。
<投稿者>園田 55歳 女性