Vol.210/2015/07
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自分の友人の話です。彼の経験や生い立ちを伝えたくて、彼が話してくれたことを私が代筆します。
「派遣切りで職を失い、派遣先の工場のアパートからも出なくてはならなくなりました。その時の所持金は、3万円程度でした。その後は、ネットカフェを転々として、最後は銀行口座の残額も105円となっていました。その間、日雇いの仕事を単発でやっていましたが、食いつなぐことはできませんでした。そして、行き着くところは路上でした。
26歳の時です。大学を卒業して、就職に失敗して、派遣の仕事をして、実家を出て、職を失って、終電後の地下の駅へつながるシャッターが下ろされた階段で、寝起きをしていました。その生活が1ヶ月程続いた時に、ひとりの外国人がたどたどしい日本語で声を掛けてきたのです。『日本語を教えてください』と。
週に3回程度、その外国人と公園で話をしました。教えるなんてことは、何もしていません。ただ、自分のことを話して、その外国人は黙って聞いていました。そして毎回、千円札を2枚くれました。お金をもらうつもりなんてなかったのですが、2千円もくれたのです。もらったお金はいつも、コンビニでおにぎりやカップラーメンを買って、周りのホームレスと一緒に食べました。ある時、千円札が1枚になりましたが、それでもお金を頂くことに感謝して、すぐさま食べ物を買って、みんなと分け合いました。
そんな日々が2ヶ月以上続いた時、その外国人が『自分の国に帰る。あなたが私のお金をみんなのために使っていることを知り、途中から2枚のうちの1枚は私があなたのために貯めておいた。このお金は、あなたのだ』と、千円札15枚が入った封筒を手渡されたのです。そして、その外国人の帰国先の住所が書かれたメモ紙も同封されていました。
その時の気持ちは、どう表現したらいいのか今でも分かりませんが、お腹の底が燃えるように熱くなり、体が一気に軽くなったことだけは記憶しています。そして僕は、その封筒をお守り代わりにして、それから形振り構わずに働きました。 今、オーストラリアにいます。その外国人の国です。
オーストラリアに来た時は、あの時に頂いた封筒をそのまま持ってきていました。その封筒を返して、『あなたのお陰で今の自分がいます』とお礼を伝えるためでした。ただ残念ながら、メモ紙に書かれていた住所はビルの建設のため、半分更地になっていました。
これは、後でわかったことですが、その外国人がなぜ私に声を掛けてきたのかは、偶然ではなかったようです。周りのホームレスが『僕に声を掛けた方が良い』と言ってくれていたようです。たまたま、大学を出ていたからだと思います。
今、思い返しても、その外国人や周りにいた当時の自分と同じ状況のホームレスに感謝の思いしかありません。本当に人生は、どこでどうなるか分かりません」
ここまでは、その友人が語った話です。ここからは、自分(筆者)が補足します。結局、その外国人と会えなかった友人は、その外国人が生まれ育った国、オーストラリアに恩返しをしようと考え、今では福祉関係の仕事をして、会社経営もしています。そして、時間を見つけては、当地のホームレスの人たちに声をかけ、社会復帰の手助けのような活動もしています。
自分がこの友人の話を投稿しようと思った一番の理由は、その友人の計算ではできない、素直な想いに心打たれたからです。“自分も食べるお金がない中、もらったお金でお弁当を買ってみんなで分けた”という話は最初、耳を疑いました。美談にしているのではないかと。でも、その後の友人の心機一転、実行、そして実際の今の彼を見ていても、それは作り話ではないと確信できます。
「自分さえ良ければいい」といった風潮は、特に最近の日本、日本人の間にあるように思えます。そんな中、この友人のメンタリティは学ぶべきものがあると思います。
<投稿者>Toshi 39歳 男性