Vol.198/2014/07
今号では、時代の流れを感じつつ自問自答の投稿や、4年に一度のサッカー・ワールドカップについて、そして前号(vol.197)への投稿に対する投稿を紹介します。
よく周りの日本人が「このコーナーは毎月、絶対に読む」と言っていますが、そう言っている人にお聞きします。なぜですか。赤裸々な性体験を読んで、軽蔑したいからですか。それとも、自分を勇気付けたいからですか。もしくは、安心したいのですか。
時代は変わりました。身の回りや自分自身の性について吐露するのは、恥ずかしいとされてきましたが、今ではむしろ、自己PRポイントの一つともなっています。
日本で、こんなニュースがございました。動画投稿サイトのライブ配信サービスで、性行為の映像を配信したとして、公然わいせつの疑いで男が逮捕されました。ただ、私が驚いたのは、「風俗店のような接客はないので男性と一切接触はありません」といった求人募集を見て、その映像に40人以上の女性が出演していたということです。単純に、自分の性行為が不特定多数の人に見られるのに抵抗がないという女性たちの感覚を、私はどう理解していいのか分かりません。
今年で50歳を迎えますが、私は時代に乗り遅れているのでしょうか。こちらの生活が長くなり過ぎて、日本の時代の流れについていけなくなってしまっているのでしょうか。このようなことは、日本や日本人の間だけで起こっているのでしょうか。
娘がこっちの高校を卒業した後、日本の大学に行きたいと言っています。今は、賛成できずにいます。
<投稿者>匿名希望 49歳 女性
今回のサッカー・ワールドカップ、なぜかそこまで熱くなれなかったです。応援していた日本やオーストラリアが1勝もできず、両チームとも決勝トーナメントに進めなかったのが一番の理由だと思いますが、それ以上にワールドカップそのものの価値が、自分の中でぐっと下がってしまったからなのかも知れません。
自分が子どもの時は、遠い国で行なわれている世界最大級のイベントで、遠い存在のスーパースター達が、曲芸の如くスーパープレーを披露しているのを羨望の眼差しで、テレビにかじりついて観ていました。それが、1998年のフランス大会で、わが日本代表が初参加を果たし、オーストラリアからその代表選手の勇姿を拝むように観ていました。そして、2002年には日本でその世界の祭典が開催され、その時点で自分にとってのワールドカップは、かなり近い存在となりました。ただ、オーストラリアにおけるサッカー文化を通して観るワールドカップは、まだまだ縁遠い存在で、その距離感が逆に崇拝の対象としてのワールドカップでいてくれました。
ところが、今回のワールドカップは、なんと国営放送のSBSが全試合を放送したので、身近を超え、自分の中の一部となってしまったんです。それにより希少価値だったワールドカップが限りなくありふれたものへとなってしまったのです。そして、インターネットによる動画配信で見過ごした試合も直ぐに観られるようになり、しかも上手に編集されたダイジェストとなっているので、「今は観なくても、後で…」といったとこまで価値は落ちてしまいました。
通信技術の発展を否定してはいませんが、4年に一度のワールドカップへのあのワクワク感や何物にも代え難い、自分の中の主たる存在が、今回のワールドカップで崩れ落ちた感じです。
<投稿者>サッカー中年 47歳 男性
$1,500で買っていた車を$2,500で買わされたという内容でしたが、買った自分にすべて責任があって、騙されないように準備をしていなかったあなたが悪いと思います。市場価格も調べられたはずです。それを「自分さえ良ければ良い、後はどうになっても良い、という考えが今の日本だ」とか言いい、売った人やそのような人ばかりいる“日本”とまで言いいながら、人のせいにしていますが、その前にあなたは、自分のことを振り返るべきです。人のせいにするのは簡単です。まずは、自分に振り返って、非がないか確認すべきです。
同じように、“日本では違う”とか言いながら、オーストラリアのせいにしている人はいませんか?ここは、オーストラリアです。あなたはよその国に来て、その国の悪口を言っていることになりますが、まず、なぜ違うのかを考えるべきです。理由があるはずです。そして、文句を言う前に自分に振り返るべきです。そうしなければ、成長はないでしょう。
<投稿者>片岡 42歳 男性