Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

 

あなたの言いたいこと

Vol.197/2014/06


「これから」


 日本で専門学校を卒業して、就職をして、5年間のOL時代を経て、今に至ります。何も考えずにただ通り過ぎてきたような時間でした。でも、オーストラリアに来て、あの頃のことを振り返る余裕ができました。良かったか悪かったかは分かりませんが、これからは違う時間の過ごし方をしてみたいと思っています。今は、オーストラリアに感謝しています。

<匿名希望>Ukko 27歳 女性



「人と違って、変わった事」


 方向転換できるかな、と思ってオーストラリアに来たけど、そんな簡単なものじゃなかった。海外で生活して、自分に自信を付けようと思ったけど、自信も付かなった。こっちに来る前に見識を深めるなんて目標を掲げていたけど、深まったとも思えない。当たり前だけど、オーストラリアにだって日常があるんだから。

 よく「人と違って、変わった事がしたい」とか言っているヤツがいるけど、「何それ?」って感じ。違う事とか、変わった事とかをしても、その“事”が、自分が本当に心から望んでいるものじゃなきゃ、続かないし、本物にはならないよ。結果的にやってきた事が、“人と違って、変わった事”じゃなきゃな。勘違いしているヤツが多すぎる。

<投稿者>マサ 39歳 男性



「息子、娘たちへ」


 自分の両親と連絡を取っていますか?

 お恥ずかしい話ですが、最後までお付き合い下さい。息子は24歳で、大学を卒業してからワーキングホリデーでオーストラリアへ行きました。2012年3月のことです。そして、翌年の2013年に私は会社を定年退職しました。

 息子がオーストラリアに2年間滞在することは、渡豪して1年後に家内から聞き、実際にほぼ丸1年、息子とは話をしていませんでした。大学時代から息子には独り暮らしをさせていたので、その頃から会話はそれほど多くはありませんでしたが、1年以上も話をしていないというのは、今までなかったと思います。

 家内も「8月頃までは連絡をくれていたけど、それからはパッタリね」と言っていましたが、『便りがないのは元気な証拠』とはいうものの、連絡を取ることにしました。自分が会社を退職したから時間に余裕ができ、息子のことを気にかけられるといった自分勝手さも承知していますが、連絡を取り始めてから、約1週間、全くの音信不通でした。電話をしても繋がらない、メールを送っても返ってこないといったかたちで、実際、息子がどこにいるのかすらわからない状態でした。

 人様に迷惑をかけたくはないと思っていましたが、さすがにこれだけ連絡が取れないのなら人に助けを求めなければと思い、領事館に連絡を入れようともしました。ただ、息子は連絡の取れない所にいるだけではないか、といった思いが頭から離れず、家内とも「もう2、3日待ってみよう」ということで、引き続き毎日、2、3時間毎に電話をかけたり、メールを送ったりしました。

 もちろん、いろいろと考えました。何か事件に巻き込まれているのかも、アクシデントに遭遇してしまったのかも、と眠れぬ日々を過ごしました。すると、連絡を取り始めてからほぼ10週間ぶりに「連絡くれた?どうしたの?」といった1本のメールが、日本時間の早朝5時に入りました。私は、家内に「適当に返信しておけ」と言い残し、直ぐにオーストラリア行きのチケットを取り、息子の元へ飛び立ちました。

 家内は日本から、息子が私を空港まで出迎える手はずを整え、私は空港の到着ゲートの扉を抜け、真黒に日焼けした息子の元へ歩み寄りました。そして何も言わずに、息子の顔を思いっきり引っ叩いた後、強く抱きしめました。私は、流れる涙を拭うことなく、言葉にならない「ゴメンな」を繰り返していました。肩を揺らす私に抱かれている息子も、いつしか涙を流していました。

 お願いがあります。親元を離れ、自分自身の人生を歩むことは大いに賛成ですし、そうあるべきだと思います。ただ、歳を重ねようとも、親にとって息子、娘はいつまでたっても子であることを忘れないで下さい。

<投稿者>藤井 66歳 男性