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あなたの言いたいこと

Vol.194/2014/03

「シェアーメート」

 家にシェアーメートを入れていますが、この間、そのシェアーメートに物申しました。
 他は知りませんが、うちは家族ぐるみでシェアーメートと仲良くなって、食事もちょくちょく一緒にしています。その食事でのことです。シェアーメートは食べている最中、何度も電話(スマートフォン)を見ては、ポケットにしまい、時には何かを打っては、画面を覗き込んだりと、箸を持ちながら幾度となくそれを繰り返します。行儀が良くないな、とは感じていましたが、注意するまでもないかと思い、見て見ぬ振りをしていました。
 しかしある時、その行為を娘が真似し始めたのです。これはいけないと思い、娘に直接注意しましたが、「○○さんだってやってるじゃない」と、言うこと聞かなかったのです。そして、娘が友達のおうちに夕食で招かれ、迎えに行った時、その家のお母さんから「食事の時に電話をいじるの注意したら、いやな顔をされたわ」と忠告を受けました。これでは本当にいけないと思い、翌日の夕食のときに思い切ってシェアーメートに、そのことについて話をしをしました。
「食事をしている時でも電話で何かをしていなければならないの?みんなとの食事の時間を楽しみませんか?」と。 すると、シェアーメートは「そんなことを言われるとは思ってもいませんでした」と言い、すぐに席を立ちました。「娘が真似をして、教育上も良くないし、行儀も良くないと思うわ」と付け加えると「こっちから頼んで食事に混ぜてもらっているわけではないので」と言い返されました。
 実際は、食事中の行儀について怒ったつもりでしたが、私の言葉に対するシェアーメートの“反応”の方が気になりました。怒られている、注意されているという意識なのか、話合いにはならず、当然、聞く耳も持たない感じでした。私としては、「□□なので、見てしまうんです」とか言ってくるのかと思っていましたが、単純に“物を申されること”に嫌悪感を抱いているようでした。
 娘はそうさせたくないです。「言い訳をしろ」と言っているわけではないですが、ちゃんと対話ができるように育てたいです。シェアーメートを見て、今まで怒られたり、注意されたりしたことがあまりなんだろうな、とも感じました。傷つけられたくないというか、傷つくのが怖いというか…。そのシェアーメートは、23歳の男子です。

<投稿者>匿名希望 44歳 女性



「ここにいる理由」

 ワーホリのセカンドビザを取るため、ファームに行っていました。自分はオーストラリアに来る前からワーホリでパースに2年間いたいと思っていたので、去年の8月に来て、すぐにファームに行きました。ファームでの仕事は単調で、本当に退屈でしたが、お金は貯まりました。
 1月下旬にパースに戻ると、生活費や交通費で、ファームで貯めたお金がどんどんなくなっていきました。今は、日本食レストランでキッチンハンドの仕事をしていますが、減ったお金を取り戻すことはできていません。
 これなら、ファームに戻って、仕事をした方がお金は貯まるのかなと思っています。日本食レストランの仕事も、単調さで言えば、ファームの仕事と変わりないので、そう思っています。
 ところが、この間、紹介の紹介で一緒に飲んだ女の子と仲良くなって、付き合ってはいないけど、そういう関係になりました。その子に、ファームに戻ろうかと思っている、と話したところ、「オーストラリアに何しに来たの?」と言われました。
 答えられませんでした。強いて言えば、今の自分は「お金」が一番優先になっています。ただその子は、「ファームで稼ぐなら、同じように日本でも稼げるよ。でも、日本にはここのような環境はないよ。外国人はいても、こんなにいないでしょう。街中で店員に話しかければ英語が話せるけど、日本ではそうはいかないよ。30分であんなキレイなビーチに行けるけど、日本では30分というわけにはいかないでしょう。裸足で走れる公園も日本にはそんなにないよ」と。
 そして「ここにいる意味、もう少し考えて方がいいよ」と優しく言われました。とても柔らかい感じで言われましたが、オーストラリアに来て、正直一番その言葉に傷つき、自然と涙が出ました。

<投稿者>Yhey8 28歳 男性



「東日本大震災」

 11日であれから3年になります。今でも忘れられません。夕方入ったレストランのテレビに映し出されていた、映画のようなワンシーンを。
 車や家が波に押し出され、いとも簡単に流れている。その流れている所は、自分の生まれ育った所でした。離れているからこそ見えることもありますが、自分の国や故郷を恋しく想い始めた矢先のことでした。
 その後は、現実に埋もれる毎日で、恋しいといったある意味、生やさしい感覚に戻ることはできませんでした。でも、あれから3年。月日はそのぼんやりした感覚を抱かせることを許してくれたようです。
 こちらで生活し始めて、4年が過ぎました。これからも毎年訪れる3月11日は、どのような思いで過ごすのだろうか…。
今はただ、亡くなられた多くの犠牲者の方のご冥福をお祈り致します。

<投稿者>木下 雅人 34歳 男性