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Editor's Note
Ijapan Vol.01
Ijapan Vol.02
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About Perth〜オーストラリア・パースを知る〜
Link to Perth 〜パースのお役立ちスポット〜
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第96回「人のためが自分のために』の投稿者、みささんに一言」
第95回「8月号の『どうしよう』のKenさんへ」 「『言いたいことが言えない(vol. 235)』の投稿者、みささんに一言」
第94回「不倫の不倫を受けて」 「どうしよう」「言いたいことが言えない」
第93回「前号(v233)の「不倫」を受けて」「英語」
第92回「不倫」「みなさーん!」
第91回「思いやりと自己中心」
第90回「良いことの後は悪いことだったけど、その次は良いことに戻る?」
第89回「彼女だと思っていたのに」「オタクの皆さんへ」
第88回「パースの夏」「何が悪いんだ?」「愛されていることと暴力とは」
第87回「オージーの彼女」「スマホ」
第86回「夏のクリスマス、マヂ楽しみ!」「卒婚」他
第85回「信じられるところへ」「私がバカだった」他
第84回「That one will not another will」
第83回「リオ五輪、感動をありがとう。」「あなたとの思い出」他
第82回「世界の日本人」「みなさん、どう考えているんですか?」他
第81回「国際結婚の投稿について」他
第80回「5月号で国際結婚について悩んでおられるかたへ」他
第79回「解らない」「早く行きたい!」他
第78回「v218の『そういう世代』を読んで」他
第77回「頭の悪い人」「日本からっす!」
第76回「信じたいけど」「天然女子」他
第75回「今年の抱負」「2016年1月1日」
第74回「アラフィーのバツ2(vol.214掲載)さんへ」他
第73回「The オージー!」「日本人の私」
第72回「フッティー」「感動をありがとう」
第71回「子どもが泣けない社会」他
第70回「メルボルンからお邪魔!」「娘へ」他
第69回「友人の話」「絶対に埋まらない溝」
第68回「この季節」「可愛いけど笑顔が変」他
第67回「パース」「4月号(vol.207)の投稿者へ」他
第66回「vol.206の『利用され続けて』の32歳の女性に…」
第65回「感謝」「利用され続けて」「共存」他
第64回「子どもを作る」「末恐ろしいオーストラリア」
第63回「日本を脱出してクリスチャンになった私」他
第62回「終わり」「2014年→2015年」
第61回「天に向かって唾を吐く」「こんな日が来るとは…」
第60回「パースから世界」「ぼくの夢」
第59回「『最低!』を投稿された匿名希望さんへ」他
第58回「男女の違い」「最低!」他
第57回「娘の将来」「俺のワールドカップ」他
第56回「嘘」「騙されたのか?」「信じられる?」他
第55回「連帯責任」「オーストラリアの中の日本男子」他
第54回「『パースは稼ぐところ』を読んで。」他
第53回「パースは稼ぐところ?」「希望と現実」他
第52回「がんばれ、息子よ!」「父」
第51回「新年の抱負は『プロサッカー選手になる』」他
第50回「2013年が終わる」「僕の言いたいこと!」他
第49回「不適切な内容」「子どもに見せられない」他
第48回「6さいになった娘…」「孫」「東京」
第47回「パースに住む」「帰国したくない」他
第46回「日常」「paternity leave」他
第45回「時給」「ローカルで働く」
第44回「日豪戦で学んだこと」
第43回「言いたいことが言えない」他
第42回「競争を避ける若者たち」他
第41回「15周年記念号の特集を読んで」他
第40回「『日本を脱出したい』を読んで」他
第39回「『我慢をすれば永住』を読みました」の方へ」他
第38回「『我慢すれば永住』に対する投稿」他
第37回「我慢すれば永住」
第36回「できると損?」「今か、将来か」
第35回「本当の意味での…」「オリンピックの意義…」
第34回「下手に出る人生…」「不倫じゃなくて…」
第33回「遠距離恋愛はある…」「きれい事は言って…」
第32回「ただ逃げている…」「マジ、へこんで…」
第31回「人は生まれて、そして…」「喉頭がん」他
第30回「あれから1年」「シングルママ」
第29回「『おまえら、ぶっ殺す!』を投稿された方へ」他
第28回「新年の抱負」「日本人の男はケチ」
第27回「おまえら、ぶっ殺す!」
第26回「無題」「実力があるから敬語」
第25回「『勇気』と『失敗』」「私は誰」
第24回「Mine(私のモノ)」「勇気」
第23回「KY」「被害妄想の彼」「働く気がなさそう」
第22回「転職して60歳の大学生!」
第21回「ブスは損だと思ってたけど…。」
第20回「東日本大震災をうけて」
第19回「産むつもりです」
第18回「『偽装結婚』に対してのコメント」
第17回「偽装結婚」
第16回「人の目」
第15回「お姫様は続きませんよ」
第14回「パースではお姫様。」
第13回「オーストラリアのお父さんと日本のお父さん」
第12回「『ご心配』と『ご迷惑』」
第11回「自分に自信がもてないからでしょうか?」
第10回「勇気の源」
第9回「あなたはあなた。」
第8回「私は、なに人?」
第7回「『親の面倒をみる』」
第6回「『オーストラリアだからなんですか?』」
第5回「『海外にいるから見えること』」
第4回「『子育てで感じること』」
第3回「『オージーの夫をもつ日本人妻より』」
第2回「『今しかできないこと』」
第1回「『Never Say No』」
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Vol.184/2013/5
「家族(続き)」
上の子の時以上につわりがひどく、全く夫との性生活がなかった時、冗談で「自分で処理しているの?」と聞くと、真顔で「何もしていない」と言っていたので、「ゴメンね」と謝ったら、「気にしないで。今は元気な赤ちゃんを産んで欲しい」と言われました。そんな話をしていた数日後、あまりにもスキンシップのない期間が長かったので、やっぱりかわいそうだと思い、手で処理してあげようとしたら、頑なに拒まれました。今まで、そんなことはなかったので、その時は“よっぽど私のことを気遣ってくれているんだ”と思い、その日は何もしませんでした。
そして、更に数日後、夫は外でお酒を飲んできて、そのお酒の影響で少し開放的になっていました。私も気分が少し良かったので、そのままベットの上で処理してあげたんです。最初は拒む姿勢を見せましたが、直ぐに成り行きに任せるようになったのですが、その時、出るものがあまり出なかったんです。何もしていない期間がこんなに長かったのに「あれ?」と思いましたが、お酒も飲んでいたし、と思いその時は深く気にしませんでした。でも、実はその子と外で会っていたからだったんです。
なんで夫の不倫がわかったかというと、その不倫相手の子が日本に帰国した後、夫がその子とメールのやり取りをしているのを知り、そのメールを読んでしまったからです。
日本の両親には相談していません。したら、「帰って来い」って言われるのはわかっています。今は、子どもたちのためにも逃げ出したくはありません。味方は誰もいませんし、全て背負い込んでしまっていますが、この場を借りて言わせてもらいたいです。「自分に限ってはない」と思っている方、「あれ?」と思った時は、流さないようにしましょう。涙を流すのが、自分になる前に。
<投稿者>匿名希望 39歳 女性
「代筆で代投稿」
彼女の独り言を代筆、代投稿します。
『何となくだけど、英語がしゃべれるようになりたかった。これと言って、理由も特になかったけど、しゃべっている自分がカッコいいんじゃないかな、と想像したから。で、近道はオージーと付き合うことだと聞いて、付き合ってみた。でも、別に上手にならない。時間帯が合わなかったし、彼とはHするだけ。会話らしい会話も無いし、週末は彼がバイトだったし。だから、別れた。今は、バイトしないと生活できないから、バイトしてるけど、シェア先はみんな日本人だし、仕事先も日本人だらけ。今度は日本人の彼氏ができたけど、いいのかなぁ、こんな生活してて』
<投稿者>yUo 21歳 男性
「楽しい」
今から10年程前、会社からの帰り道、真っ黒な顔をして、背筋を伸ばし、ゆるい感じの中もにどことなく品のある身なりで歩いていた中学校の時の同級生とバッタリ会いました。あの頃はお互い、“親友”と言い合っていた仲の2人で、その時で7、8年ぶりの再会でした。自分は実家から会社に通勤していましたが、彼は日本での久しぶりの滞在を親元で過ごしていました。
地元の高校を卒業して、T大学に入学。高校の時の成績は、全国レベルでの模試で上位5%に入り、T大学も希望の学部に入ることができました。あの堀江貴文さんは、自分の先輩にあたります。運動もそこそこできました。中学、高校の頃はサッカー部に入り、レギュラーで試合に出ていました。大学を卒業して、総合商社に入社。就職の時は、ラッキーだなと思うこともありましたが、何となく「自分の社会的ポジションはここかな」と思いながら入社しました。人は、自分のことをエリートと言っていましたが、自分なりに努力して、要所要所では這い上がってきたつもりです。
その彼とは、少し立ち話した後、近くの居酒屋で一杯やることにしました。背広に白い顔、革靴に革カバンの自分と、上下アウトドアメーカーのロゴが入った蛍光色のフリースにゆったり目のパンツ、スニーカーにリュック。真っ黒に日に焼けた顔とフリースから覗く真っ白なTシャツのコントラストが印象的でした。席に座わり、今まで何をしていて、今何をしているのか、といったお決まりの会話の中で、彼の口から「楽しい」といった言葉が何度も出ました。彼は、ワーキングホリデーでオーストラリアに行き、その後、ヨーロッパを旅して、帰国したばかりだったのですが、旅先の話をしている彼の笑顔は、月並みな言い方ですが、輝いていました。自分も客観的に話を聞いていたつもりが、いつの間にか引き込まれ、数杯のつもりだったのが日付が変わるほど話し込んでいました。
彼はしきりに言っていました。旅先でのエピソードを交えながら「何があるかわからないから楽しいし、楽しかった」と。「そのアクシデントに自分が対応できるか、できないかを試すのも楽しかった」し、「できなかったら、できるように努力する過程も楽しかった」。そして、「できるようになった時は、最高に楽しかった」と。
あの時の会話は、今も忘れもしません。無精ひげの口元からこぼれる白い歯が、更に彼の笑顔を強調させて、「こいつは、今を生きている」と思いました。当時の自分も、人には“出世街道を歩み、将来を約束された人生”と映っていたかもしれません。ただ、彼の話の中で連発された「楽しい」といった言葉、そして笑顔は、なぜか自分を奈落の底に落としたのでした。
去年の3月に転勤でオーストラリアに来ました。あの時の彼が話していた、オーストラリアで生活しています。複雑な気持ちです。10年経っても、結婚して子どもができたということ以外は、自分はあまり変わっていないと思います。大きな歯車の中の、ほんの一部の仕事を任され、その仕事は国家レベルのプロジェクトかもしれないけど、自分の仕事は自分じゃなくてもできるような代物です。給料も同年代の人たちに比べれば、少しばかり多くもらっているかもしれません。ゆえに、一回り大きな家や車に乗ることもできています。将来についても、このまま行けば定年まで働かせてくれるでしょう。年金だって、そこそこもらえると思います。
ただ、“彼の”オーストラリアに来て、自分の中で何かが変わってきています。勉強すれば成績が上がり、周りの声が支えとなり、模試を受けては結果という数字が支えてくれ、今となっては就職して、会社“名”が自分を支えてくれています。でも、今まで“支え”なくして、何かやってきたことはあるのか、と考えてしまいます。アクシデントの前に“支え”を用意している人生に、「楽しい」は生まれるのだろうか、とも。
自分の人生を振り返り、今まで「楽しい」という言葉はそれほど使ったことがありません。そう考えると、寂しい人生だな、とつくづく感じます。
<投稿者>匿名希望 34歳 男性