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明日は来る It wasn't my day today, but tomorrow will come.
Vol.178/2012/11

第7回「プロフェッショナル」


プロフェッショナル


 「今までサッカーを楽しんだり、納得したりしたことは、一度もない」と話す山田。試合後は、必ずといっていいほど“悔しい”といった思いが残る。なぜ、そんな思いをしてプレーし続けるのか。それは、その“悔しさ”を“克服”するためなのかもしれない。こうも、続ける。「たとえ、試合に出場して勝ったとしても、満足したことは一度もないです。真剣になればなるほど、その思いは強くなるんでしょう」と。山田のサッカーは、“悔しい”と“克服”の繰り返しなのだ。

 山田がプロのサッカー選手になろうと決めたのは21歳と、他の選手に比べて遅かった。ルーマニアの一部チームのトライアウトに参加し、ゲーム形式の練習で豪快にシュートを決めた。その時のことは、今でもはっきりと覚えている。「あのシュートはまぐれでした」と振り返る山田だが、そのシュートがチーム首脳陣の目に留まり、プロ契約へとつながった。プロの世界へ導くきっかけとなったそのシュートを山田は謙遜しながら“まぐれ”と言ったが、それ以来、山田はプロのサッカー選手としての人生を歩んでいる。

 それから、ちょうど10年が経った。職業をプロサッカー選手としての10年だった。その10年目にあたる節目に日本を離れ、オーストラリアでの挑戦を試みた。しかし、「何かが上手く回らなかった」といった表現を使い、シーズンを振り返るも、フラストレーションが残った。当然、オーストラリアのサッカー最上位リーグ“Aリーグ”でプレーすることを目指して渡豪してきたはずなのに、結果的にその1つ下の州リーグでプレーし、自身は試合への出場機会を満足に得られず、チームはリーグ優勝を逃している。
 正確に言えば、10年目はセミプロではあったが、その10年目が不完全燃焼のシーズンだったことは間違いない。今年の12月で31歳になる。プロフェッショナルなサッカーの世界では、十分ベテランの域に達しているが、肉体的な変化は微塵も感じていない。プロのスポーツ選手には、プロとしての終わりを必ず受け入れなかれえばならない時が来るが、そのことについても「その時は精神的なものがきっかけとなるでしょう」と自己分析する。しかし、今年の3月からのシーズンを振り返り、対人でのプレーは良くなっていると自認している。