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“新しい”環境でサッカー。キャリアの第二章はパースから(前編)

サッカーを取り巻く環境は大きく変わった。必要とされていなければ必要とされているところに行けばいい。そこで、自分のゴール(目標)を目指せばいい。

新しい環境で自分のためにボールを蹴る。サッカーへの向き合い方は日本でのそれとは違った。そんな彼らからは、一様にして「楽しい」という言葉が出る。しがらみのない、自分のためにサッカーができるこの“新しい”環境は、サッカーを始めた頃の純粋に楽しかった、あの頃に引き戻してくれた。

“新しい環境”でのサッカーは、子どもの頃に公園でボールを蹴っていたあの「楽しい」といった初心に近いのかもしれない。では、なぜその“新しい”環境でまたボールを追うことにしたのか。

「プロのサッカー選手になりたい」と抱いていた夢はカタチを変えたが、もう一度、自分のポテンシャルを“新しい”環境で試したい。日本で、ひとつ目の現役にピリオドを打ってきたが、“新しい”環境で2度目の現役をスタートさせるため、そして自分のそのキャリへ第二章を加えるためボールを蹴り始める。ここでは、パースという“新しい”環境でボールを追いかけたそんな4名の日本人を、前編では男性2人、後編では女性2人を紹介する。

※本文の各インタビューは2023年9月前後に収録したものをベースとしている。
 


【辞めたサッカーをパースで再び】


合津 嵩人(ごうず しゅうと/Shuto Gozu)
1996年8月17日生まれ、長野県上田市出身。
サッカー歴:FC上田ジェンシャン → AC長野パルセイロジュニア → 松商学園高等学校(長野県)

 

2017年8月にパースへ。当初は英語を習得して日本へ帰国予定だったが、習得した英語を使って翌年から専門学校、翌々年は大学でマーケティングを学ぶ。そして、2021年6月に当時Football West State League Division 1(オーストラリア3部リーグ相当)所属のチーム練習の参加機会を得る。

中学生の時はトップチームがJ3所属のAC長野パルセイロのジュニア・チームで、高校は長野県のサッカー強豪校、松商学園高等学校に進学し、親元を離れて寮生活を送りながらサッカーと勉強との両立を計っていた。そして、高校3年生の時までプロを目指して練習に励むも、オファーは届かず、プロのへの道は閉ざされた。

「高校卒業の時点でもう真剣なサッカーは辞めた、と自分では思っていました。昔からテレビとかでサッカーはあまり観てなかったですが、サッカーを辞めてから更に興味が薄れていく自分がいました。パースでもサッカーへの情熱はそこまでなかったですが、なぜか大学入学という進路が決まって、その直前に練習参加の機会をもらって。もしかしたら、気持ちに多少余裕ができたからだったのかもしれませんね。新しい環境に気持ちが着いていって、昔やっていたサッカーへの想いみたいのがどこからか湧いて出てきたのかもしれませんね」

最初は練習についていくのがやっとだった。ブランクは5年以上もあった。ただ、きついと感じるフィジカルとは逆に高揚していくメンタルがあることに自分でも少し驚いた。「今更サッカーが上手くなる必要はない、楽しめばいい」と思いながらも試合を重ねていくと「今まで日本でやってきたサッカーがどこまで通用するのか」といった現役時代の向上心が顔を出した。

リーグ戦は9月に終了した。練習に参加し始めた6月から4ヶ月が経っていた。チームはリーグ優勝を果たし2022年シーズンはNational Premier Leagues Western Australia(NPL WA)への昇格を決めた。ただ、本人はシーズンを通してケガで満足いくシーズンとはならず、リザーブ・チーム(2軍戦)が主戦場だった。そして、次のシーズンのNPL WAでは外国人枠に該当することになる。監督から今後について相談を受けるも、新しい環境での挑戦は一区切りつけようと決心した。

「ワン・シーズンだけの挑戦でしたが、辞めたサッカーにもう一度向き合えたのは良かったと思います。パースで、だったからかもしれませんね」と振り返る。


 


【プロから挑戦へとカタチが変わった】


今田 海斗(いまだ かいと/Kaito Imada)
1998年11月19日生まれ、広島県広島市出身。
サッカー歴:大塚サッカークラブ → サンフレッチェ広島ジュニア → シーガル広島 → ガイナーレ鳥取U-18 → 広島経済大学

 

「見知らぬ土地に飛び込んで自分がどこまでできるか試してみたかった。そんな中でサッカーは、できれば嬉しいなといった程度でした」と話す自身の目標は、その後の2年間で大きく変わっていった。

大学4年生までプロを目指していた。中・高校世代では在籍していたチームで共に全国大会に出場。大学3年生の時には中国・四国選抜、4年生の時は在広島県大学のトップ11にも選ばれた。しかし、4年生の時にJリーグクラブのスカウトが集まるトライアルでどこからも声がかからず、6歳から始めたサッカーに「ここまで」の線を引いた。

大学卒業してサッカー中心の生活を一転させるためにも、すぐに海外へ行こうと考えていた。しかし、ちょうど世の中はコロナ禍へと突入する。そして、小学生の時に在籍していたサンフレッチェ広島が運営するスクールで幼稚園生から小学生のコーチとして働いたが、世界が国境を開き始め、初心を貫徹するためにも2022年4月にパース入りした。

パースでの生活は当初、順風満帆とは言えなかった。ホームステイ先での冷遇や学生寮での慣れない生活など最初の3ヶ月間はきつかった。もちろん想定していたことだったが、メンタル的にも折れかかりそうにもなった。ただ、そんな中でも知人を介してボールを蹴る機会を得ることになる。

当然のことながら、一年前のプロを目指す熱量はなくなっている。当時は目指す理想像が“サッカー選手”だったが、それが “海外で挑戦する”といったカタチへとすり替わり、サッカーはそのカタチを作り出す一部へとなっていた。ただ、そこでのサッカーは今まで自分が経験したことのないものだった。

「日本とオーストラリアでは、サッカーの競技そのものが違っていました。それに、選手と監督の関係性も全然違いました。例えば、ミーティング中に監督が話をしているのに選手が割り込んで話し始めたり、いきなり地面に座ってストレッチし始める選手や、リフティングを始める選手もいたりとか、本当にビックリしました」と最初はカルチャーショックを受けたと話している。

Football West State League Division 1(オーストラリア3部リーグ相当)所属のチームに2022年6月中旬に練習参加して、直ぐにチームとセミプロ契約。7月一週目の試合には既にピッチに立っていた。シーズンが終わる9月まで主力選手として活躍。ただ、チームはファイナル・シリーズ進出まで一歩及ばず、5位で閉幕。翌年の2023年シリーズも在籍し、同じく主力選手としてプレーするもケガもあり、本人としても満足のいくシーズンとはならなかった。

2シーズンを「日本ではプロに成れなかったですが、こちらでプレーするにはそれなりにプライドをもってプレーしました。ただ、新しい環境でのサッカーはまた違ったものでした。この環境でやるから価値があるわけで、目標としていた“海外で挑戦”への良い経験となったと思っています」と振り返った。


 


『オーストラリアのサッカー(男子)』
オーストラリアのサッカーにおける最上位リーグはA League(Aリーグ)。アジアチャンピオンズカップでJリーグのチームと戦っているチームはここに属する。そして、その下には各州に州リーグがある。西オーストラリア州にはNational Premier Leagues Western Australia(ナショナルプレミアリーグWA/NPL WA)というリーグがあり、12チームが所属し、さらにその下にはFootball West State League Division 1、Football West State League Division 2(フットボールウェスト・ステートリーグ・ディビジョン1、2)と続く。


【文】 今城康雄(いまなりやすお)。パースの日本語メディア「The Perth Express」の代表兼、編集長。2005年のAリーグの開幕以来、リーグ公認のメディアとなっている「The Perth Express」のジャーナリストとしても、パースグローリーのホームゲームはほぼ全試合、記者席より取材を重ねてきた。また2020年は、パースグローリー日本地区担当マネージャー兼通訳として太田宏介氏(吉本興業所属、現FC町田ゼルビア・アンバサダー、ジョガスポーツカレッジ代表、Jリーグ選手OB会副会長)をサポート。また、2022年には当記事の今田海斗氏の通訳も行う。

 


“新しい”環境でサッカー。キャリアの第二章はパースから(後編)はこちらから!


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