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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.213/2015/10


記憶と記録の交差点(6)—< Room 411 >に暮らして(3・下)



 (続き)

 「ちょっと話がある」

 受付で働く2人から喫茶店に呼び出された翌々日、当の女性マネージャーからそう告げられた。彼女がそう言うとき、何か私に関するトラブルがあるときだ。

 「ホテルの外で、従業員と会うのはやめて欲しい。この間、受付の2人と外で会っていたらしいね。偶然通りかかった友人から連絡があった。いったい何事なの?」

 まさか、2人から呼び出しがあったとは言えない。

 「いやね、いつもお世話になっているから、お礼にごちそうしようと思って」

 「今後、そんなことはやめて欲しい。あなたは、いつもトラブルを起こすんだから…」。

 マネージャーは不機嫌そうにそう言い放ち、過去のトラブルを延々と繰り返すのであった。

 

 男性旅行者を惹きつける食堂係モーモーには、仲の良い友人サンダー(女性)がいる。そのサンダーは、幸運にも隣国タイに働きに行く機会を見つけ、首都バンコクで住み込みの家政婦として働いている。モーモーとサンダーは2〜3月に一度、手紙で近況を交換している。

 サンダーの月給は、タイのお金で5,000バーツ(2005年当時で約18,000円)。ビルマ(ミャンマー)で働くモーモーに比べるとかなり良い収入だ。だが、サンダーはタイ語を話すことができない。住み込んだ家の近所には、誰一人として他にビルマ人がいない。そのうちサンダーは、ホームシックにかかり、愚痴を書いた手紙をモーモーに送ってき始めた。

 ある日の朝食のあと、女性マネージャーの目を盗んで、モーモーが私にこっそりと耳打ちした。

 「今度バンコクに行くとき、サンダーにビルマの食べ物やビルマ語の音楽テープを持って行ってくれませんか?」

 モーモーは、ビルマの生活を懐かしむサンダーを心から心配しているようであった。まあ、普段からモーモーの真面目な働きぶりを見ていた私にとって、彼女の人柄は信頼できる。まさか麻薬などの「禁制品」を運んでくれと言われたわけではない。もちろん、気軽に請け負った。

 タイのバンコクに着くとモーモーからの預かり物と手紙をサンダーに渡し、ヤンゴンに戻る際には、反対にサンダーからモーモー向けにタイのおみやげを運ぶことになった。まあ、何の問題も起こらなかった。それからもう一度、ヤンゴンからバンコクへ、バンコクからヤンゴンへ、荷物の受け渡しをすることになった。

 

 そんなやりとりがあったのも忘れた頃、部屋に籠もって写真整理をしていると、ドアにノックがあった。

 誰かな?

 扉を開けると、モーモーが、すっと部屋に入ってきた。

 「本当に、いろいろありがとう」

 と言うなり、私に抱きついてきた。

 

On The Road by Yuzo Uda 敬虔な上座仏教国のビルマ(ミャンマー)らしく、軍政時代(2003年当時)の若い男女のデートの場はパゴダや仏像がならぶ境内が一般的であった。
On The Road by Yuzo Uda