Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.201/2014/10


「抗いの彷徨(9)—下」



中国に源流をもつサルウィン河

中国に源流をもつサルウィン河(中国名:怒江)は、タイとビルマ(ミャンマー)の国を分かつ全長2,400kmにも及ぶ大河である。

 しかし、意気込みに反して、私は戦闘の起こっていた最前線まで行くことができなかった。前夜、カレン軍の兵士ディゲが、こっそりと私の寝ている所を訪れ、念を押すように告げたからだ。

 「明日からの行軍はかなりきつくなるから、来ない方がいいです。できれば、この場所でボジョーを待っていて欲しい」

 その警告は当たった。銃弾と迫撃砲が交叉していた最前線まで行かなくて本当に良かった、と思う。新年の戦闘で、ゲリラ側のカレン軍は死傷者を出し、最終的には敗走せざるを得なかったからだ。素人の私が同行していれば、大変なことになっていたであろう。


 ゲリラの司令部を後にして数日後、再び過酷な山歩きを経て、ビルマとタイの国境にたどり着いた。両国を隔てる国境線である大河サルウィン河を目にしたとき、安堵の感情が心の底からわき起こった。安全なところに帰って来れた、もう歩かなくていいんだ、待ち伏せも地雷もないんだ、と。

 山を下りて街に戻る。すると、何もかもが目に新鮮に映った。歩行者用の信号が青から赤に変わるのを見て、胸にジンときた。人が歩いているのを見て、自然に笑みがこぼれてしまった。目の前に広がった日常の光景は、まるで異次元の世界に迷い込んでしまったかのようだった。しかし、なんて普通なんだ、とも感じた。その普通さを身体が異様に感じてしまって、身と心のバランスが狂って目眩を起こしそうだった。感情のコントロールができず、涙腺が緩んで、笑い泣きしてしまいそうだった。「アハハ、なんだこりゃ、一体全体、みんな何をしているんだ」。その時、世界が、世界観が変わった。取材なんかどうでもよく、生きていることを実感してしまった。

 私の戦争取材とは、自分がこれまで生きてきた感覚を破壊するものであった。

(続く)