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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.186/2013/07

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(9)
—バングラデシュにて(ii)」



ビルマ側の河岸には、ロヒンジャ難民の流出を防ぐ塀が

国境線でもあるナフ河をはさんで、バングラデシュからビルマ(ミャンマー)側を臨む。
ビルマ側の河岸には、ロヒンジャ難民の流出を防ぐ塀が作られ始めていた(2009年12月)。

 バングラデシュ東南部に位置するクトゥパロン(公式・非公式)とレダの難民キャンプで、ビルマ(ミャンマー)国内でいつもするように「あなたは何人?」っていう質問をビルマ語でしてみた。ビルマからの避難民であるロヒンジャの人々の多くは、ビルマ語を話さなかった。「出身地は?」とか「仕事は何をしていましたか?」という簡単なビルマ語でさえも通じなかった。
 通訳として行動を共にしてくれたラカイン人の知人は私に、「彼らの日常語は、ビルマ語じゃなくチッタゴン(丘陵)方言のベンガル語なんだよ。でも、ここコックスバザールやテクナフのベンガル語とは異なるし、地元の人にはその違いが分かるから、ここでは差別の元になるんだけど」と説明してくれた。
 彼を通して私は質問を続けた。
 「あなたは何人ですか?」という問いかけに、多くの人が「ムスリム」という答えを返してきた。やはりというか、「ロヒンジャ」と返答してくれた人は数少なかった。彼ら彼女たちは、ロヒンジャというよりもムスリム人として意識が強かった。もちろん「我々、イスラームを信じる『ロヒンジャ民族』は、ビルマで差別されている」と英語で説明してくれる人もいた。地元ウキア村のバングラデシュ人(ベンガル人)は、ロヒンジャの人びとを「バーマ・ジャ(ビルマ人)」と呼び、「ロヒンジャ」と呼ぶことは少なかった。
 そのクトゥパロンの難民キャンプで聞いた話に驚いた。