Vol.185/2013/06
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2009年12月、私はビルマの隣国バングラデシュのコックスバザール郊外にあるロヒンジャの難民キャンプを訪れていた。
ビルマ西部ラカイン州からバングラデシュに難民が大流出する事件は、1987年と1991年に起った。いずれの場合も20万人から30万人を超すロヒンジャたちが、軍政の迫害から逃れるため、両国を隔てる国境線である川幅50mほどのナフ川を越え、バングラデシュ側に渡った。
両国の国境線の確定はそれほど古くなく、1966年であった。それまでその周辺に暮らす人びとは、国境をあまり深く意識することなく、ナフ川を渡って行き来していた。
ビルマの独立(1948年)時期、当時の民主政権の首相ウー・ヌーが、国内外のイスラーム勢力と妥協としてムスリム人たちに、特にロヒンジャ問題を解決するために、北ラカイン州の「マユ地域」をロヒンジャの辺境行政区に指定したのが1950年代から1962年であった。ちょうど人びとが、ナフ川を自由に移動していた時期と重なっている。
現在のラカイン州の人口は約300万人から400万人とされ、その大多数は仏教徒ラカイン人である。州都シットゥエは、ラカイン人とムスリム人の比率がちょうど同じくらいだとされる。ただ、マユ地域に限っては、特にマウンドーとブーディーダウンの人口は、ロヒンジャが9割を占め、仏教徒は少数派である。ロヒンジャ全体の人口は今、おおよそ80万人だとされている。
国境線が確定すると、ビルマにしろバングラデシュにしろ、国境線を厳格に守ろうとするようになった。ビルマ政府は1992年、ビルマ国内の他の地域ではみられない、「ナサカ」と呼ばれる特別国境警備隊を組織した。主にこの「ナサカ」がロヒンジャを迫害してきた。