「風になりたい」
"Myanmar (Burma) Peoples in the Winds of Change 1993-2012 by Yuzo Uda"
風には、触ることのできるような実体はない。通り過ぎて初めて気づかれる。後になって思い起こすとそれを知る、そんな存在でありたい。その前も後も。
人びとの間を、気づかれず吹きぬく風でありたい。
囁きにも似た風でありたい。
空気が動いて風となる。
動かなければ風とならない。
どう動くのか。
どのように吹くか。
そう思ってビルマで撮影を続けてきた。
この写真集は、なによりもまずビルマに暮らす人びとに見て欲しいと思う。おそらくここには、これまでに見たことのないビルマの人びとの実際があるからである。
日本ではこの間、ビルマという国名よりもミャンマーという呼び方が一般化してきた。当時の軍事政権が対外的なアピールとして呼称変更したのを、何の抵抗もなく受け入れられていた結果である。
軍事政権時代、国名や地名、歴史的な事実の書き換えが行われた。「ミャンマー」はビルマ族だけを指し、「ビルマ」は多種多様な民族を含む呼び方の時もあった。
また、ビルマの人びと自身も、かつては口語でバマー(ビルマ)と呼んでいたのが「ミャンマー」と呼ぶようになってきた。
今後、「ビルマ」という国名は世界の中で、これまで以上に「ミャンマー」と呼ばれることになるだろう。時代や社会の移り変わりと共に呼称も変わるだろう。政治的な意味合いを含めないとしたらその流れにはあらがえないであろう。
それ故、今回の出版に関して、国名にあえて「ビルマ」とつけたのは、過去、事実の書き換えがあり、それを当然としてきた流れがあった ことも記しておきたかったからである。結果的に当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実は消されないのである。
だが、ビルマであろうがミャンマーであろうが、そこに吹く風には変わりない。
2013年1月21日 宇田有三